人として生まれて、己を全うすること
パラリンピックを見ていて思う。
1
全うであることの貴重さに気づいていない、自分を。
そもそも、身体の比較は「人の全う」に意味の無い行為ないのだ。
スポーツに全力で汗する彼らこそ、
人の精神が本来あるべき姿から見れば、
全うなのかも知れないからだ。
弱い人ほど比較したり、
事実をあれこれ覆い隠すのに時間と金を費やす悪循環。
そんな人ほど、情けないほど自覚が無い。
このブログを書いている人物こそ、その人だ。
自分を追い込んで、自身の
「本当の姿」
を見る勇気が、無い!
2
自己実現が人生のテーマなのだとしたら、
「目的こそ全うすべきで、手段を目的にしてはいけない」
人は、退路を断たれて(断って)はじめて、
自分の本当の姿や思いに気づくことを学んだ。
それは、外から来るかも知れないし、内から湧き上がるのかも知れないが、
自分の身体は全うでも、精神はそうでは無いのでは?
その自問自答が、今の自分を支えている。