くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

驚いた、偶然ミタ2映画の共通な普遍的なテーマ

映画は、いろんな国のいろんな考えや文化が手軽に味わえて、しかも見るだけで楽しいとてもすばらしいメディアですね。楽しみ方はひとそれぞれだと思いますが、くろまは単純に泣いたり笑ったりを、暗いホールや自宅で気兼ね無くできる映画は、よく利用します。

 

最近あえて既に公開されて久しい作品を何本かまとめてレンタルで借りて観た中で、たまたま面白い偶然にであったので映画レビューも交えて書きたいと思います。

観た映画は今回以下の通り。

 

「原爆の子」

マトリックス三部作」

3月のライオン前後編」

「月に行った男」

 

原爆の子は、女優の乙羽信子さんが若かれし頃撮られた、白黒の相当古い映画ですが、実際の当時のヒロシマの風景や被害者などがそのまま映されていて、創作の話と違和感なくストレートに訴えられていて、ただただその現実に涙が止まりませんでした。

また、出演者(俳優)の演技は今の映画のそれと比べて稚拙に見えますが、その分シンプルにその感情が伝わってくるのは驚きでした。

 

次の2作は今回ブログの主題にあたるので最後に回して、月に行った男については、近未来を舞台にした企業陰謀を軸にしたSF映画で、人類が得られるヘリウム3という無尽蔵なエネルギーを月で採掘する企業の隠された秘密というスリリングさと、勤務する男とそれを見守るAIのちょっぴり粋な交流がホッとする作品でした。

人類が月へ行った事実の真意について賛否両論あるのですが、実際に行ったと仮定すれば現実的な設定と、リアルな月面での表現は結構B級映画にしてはチープさは全くなく世界に没入できますし、月で孤独な主人公の心理を巧みに利用していて切実でした。

 

最後に、後回しにした2作品のマトリックス、同リレーテッド、同エボリューションのシリーズと、3月のライオンですが、この両作はご覧になられた方はお分かりの通り、素性も作られた国も設定も全く共通性のない作品なのですが、見終わって驚いたのは一貫したテーマが全く一緒だったことです。

前者は言うまでもなくSF映画の革命的表現力で一世を風靡した100年後の地球の未来を描いた作品で、後者は日本の現代東京を舞台に、両親を持たない少年主人公と3姉妹のふれあいを描いた少女漫画原作の超話題作であり、一見全く接点はないしくろまも狙って借りたわけでもありませんが、見て最後に感じたのは、

 

「言いたいことは、全く一緒」

 

だったということです、それは。

 

「自分を信じることが未来を開く」

 

というとてもシンプルだけど、すごく大事なことだったということ。

それぞれに感動のシーンは沢山あって、何度見ても飽きない良作であるのはくろまが言うまでもない両作品ですが、描き方って本当に色々あるんだなぁと、目からウロコのような体験でした。

 

私たちは、生きている以上それなりの多くの経験をして成長していくのですが、映画はそれに加え、本来体験できない多くのことを学ぶもっとも入りやすいメディアの一つです。

この2作品に関して言えば、それらの体験に無駄は一つもなく、その全てが自分らしく生きるための隠されたヒントだと、私たちに教えてくれるのです。

 

マトリックスは数奇な運命を持った主人公の創造力と破壊によって、切り開かれる可能性ある未来を掴み取る姿が、社会現象にもなった斬新な映像表現によってダイナミックに描かれます。

3月のライオンでは、現実的な目線で家族を失う人として最悪の状況から自分を抑圧して生きねばならない主人公が、出会う人との意味に目覚めながら、自分の存在価値に確信を持つまでの葛藤が、みずみずしく描かれます。

 

特に3月のライオンはヒット作ではあるものの少女漫画であり、男のくろまの接点は見出し難いのですが、当時の話題性から耳にし気にしていて、原作の漫画は読破する根性はありませんでしたが、アニメでそのテーマ性の素晴らしさを知り、遅ればせながら映画をみたのですが、ここまで力強い作品だとは思わず、良い意味で裏切られたインパクト大の久々アタリ作品でした。

 

いずれにしても、私たちは人としてそのつながりを避けて通れない立場であり、その出会いは様々ですが、自分の人生とはその出会いを取捨選択の繰り返すことであり、あとはその出会いに自分が何を見出すかだけです。

あとで後悔をしてしまう人生を歩む人が居たとすれば、もしかしたらその出会いから学ぶべき大切な何かを、気がつかなかったり避けたり、自ら後悔する選択をしていたのかもしれません。

 

この2作品を見て学べたことは、出会いには全て無駄なものはなく、そこから学んだ数だけ自分の生きる道への、自信につながるという事実でした。

そのことを覚悟して責任を持つことが、自分の生きた証として残るし、唯一可能性のある未来を開く方法なのでしょう。