志あるがゆえ、HONDA退社に至る時代変化とは?
HONDAの創業者の本田宗一郎氏があまりにカリスマ性が高いが故に、その申し子であるHONDA者を愛して止まないクルマファンは多いし、くろまもそのひとりだと否定しない。
そのスタンスで気になる記事を見つけた。
「ホンダは自社で技術開発をしていない?」というブログがSNSで拡散中 (国沢光宏) - 個人 - Yahoo!ニュース
HONDAの開発姿勢にリスペクトしたいファンは多いと思うが、記事中にでてくる方もその一人で、しかも開発部門に配属されたエリート。
そんな人が夢破れて憧れのHONDAを3年で自主退職する告白には、時代変化に巻き込まれる自動車業界の現実と、自動車開発の理想像のギャップという他人事でない衝撃を感じる。
その悲劇をジャーナリストの国沢氏が取り上げ注意喚起していて、情報発信者に一定の理解を示しながら、業界の開発事情を説明している記事で、才能ある人材がそのギャップに3年で退社に至った無念さを説いていて、これは社会人である以上身につまされる話だと思った。
同時に、理屈では理解しているものの、自動車(商品)1台を世に送り出すのに、ピラミッド階層化した開発生産販売の構造が不可欠な製造業界の複雑さを思い知らされ、改めて社会の枠組みは至るところで大きく変化していると実感される。
昨日のWBSでも放映されていたが、監視管理システムに使われるカメラやそのソフトウェアの技術力は、イスラエルが最も進んでいて盛んなのだそうだが、その時感じたのは、
「世界がつながるネットワークとの連携が標準化される流れの中で、一社単独開発の限界と非効率さ」
だった。
あまりの開発速度の速さに、先端を行くためには、たとえ世界で一世を風靡したHONDAであっても、単独開発はもはや不可能であり、標準技術の陳腐化の危険さえあると言う事なんだろう。
リアルな話、業界含めHONDA本社そのものの役割は、クルマの差別化になるデザインとパーツ開発のコントロール。
であり、
世に在る専門企業をいかに組み合わせて、HONDAブランドを形にしていくのかと言う事で、自動車企業は他社も含め既に、
「メーカーではなくプロデュース」
が仕事になっていると言うことらしい。
いつの間にか、くろまがイメージしていたクルマ企業の姿は形を変えていて、
匠の技術で作り上げるクラフトマン企業でなく、情報を整理し組み直して別物に変えていくアナライザーの会社だという現実に、少なからずめまいを覚えてしまった。
おそらく、この退社された方もそのギャップに絶望されたのだろう。
彼のような、クルマへの熱い思いを持った私達くるマニアには、この先どのような未来が待っているのだろう。
今まで持っていたクルマの思いを、変えていかなければならないのだろうか?