くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

陰謀論信者も否定者側も、どっちもアブナイ理由

今年連発した台風の動きや地震のタイミングに、振り回される一方で不信感や陰謀論を吐く書き込みを見るに連れ、人の精神力の限界を思い知らされる。

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空のライフラインが絶たれた時、どうなりますか? - くろま流 × NAGOYA式 ブログ

 

自己記事で恐縮ですが、表題の問をされた時に、どのように答えられますか?

 

ここではその結論を出すものではありませんが、大事なのは陰謀論も含めて風評と言われる雑多な情報に迷わされ、事実を見ないように仕向けてしまう人の弱さに注目してほしいのです。

 

自分でも平時で冷静で居られるときには、事実を俯瞰できて人を気遣うゆとりを得られますが、有事にどこまでできるかは経験者でなければ実証できないので、偉そうなことは言えないのかもしれません。

ただ、いざという時行動や判断力をする時にアテにする情報に、結構な影響力を受けるのだなと自覚があるかどうかは、まず何より重要かなと思うのです。

 

わざとかわざと出ないかは何とも一々証明したくはありませんが、これは前者は表題の陰謀論者、後者は否定者に当たると考えると、それらの情報が有事の自分にとって適切かどうかは、必ずしも二者択一すべきでないことかもしれないわけで、その判断も含めてより複雑で瞬時の判断を迫られます。

そんなときは、経験者なら実感があると思いますが、大抵情報を利用できずにその時の感情が最優先されることが多いようです。

 

これでは、有事の情報は無用にも見えますが、感情の中には陰謀論者と否定者の感情が誰にでも含まれているため、両者の論議は捨て置けない問題なのです。

どちらに真実があるのか無いのか?

 

重要なのは、その結論の追求に労力を費やすことではなく、

偏った判断をせず両者をまんべんなく見て、自分に有益な情報があるか、導き出せるものか?

に集中することこそ、有益な行動だと感じたのです。

 

 有事は、災害における「有事」に限ったことでなくあらゆる有事が起こるときは、情報も含めて、極端な事象が伴った時に起こるものです。

我々は、本物かフェイクかをとても気にして時間を割こうとしますが、そのように振り回される前のこの極端な変化を自覚できていれば、大きく振り回されなくなるでしょう。と言うか、そう思うのです。

 

だからと言って、くろまは陰謀論を正当化するつもりは無いですが、陰謀論にも一理がある事が往々にしてある事実を思うと、いくら証明できない陰謀論でも出てきた背景をは役立つのでは?と思います。

そして誰でも陥り易い、原理主義的な極論で武装したくなる自身を、時には見直すべきだろうと言いたかったわけです。