くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

「生贄は誰が始めたのか?」その答えを示す研究発表が。

これは、決してよくある陰謀説の類でなく、厳格な研究論文の話題であって、

一見、極めてマニアなニュースではありますが、くろまが学校で学んできた、

「改められるべき事実」

として、知識の一端がまた塗り替えられた話題かな、と。 

 

wired.jp

「神への生け贄」が階層化社会を生み出していた:研究結果|WIRED.jp 

 

 

歴史は余りにも多様で、特に宗教臭のするエピソードって日本の教科書は過敏に取り扱いし過ぎると感じているが、結局文科省と特定出版社の深い間柄に左右される結果になることが多いんじゃない?

ネット時代に生きる自分は、ソースが国内発行の出版物に限定されていた境遇からして、良くも悪くも選択肢の多さはメリットでしかない。

 

この記事は、歴史授業ではセンシティブに扱われる階級差別のルーツに関する画期的な話題だけど、今一般に信じられている「アルタードステイツ」などの進化論の様な固定概念は、所詮発表時の一時期では画期的でも、時代時代の優れた学者の新説には足元にも及ばないという一例。

 

人類が進化を遂げる中で、集団的行動は先天的な意識として捉えられていた、あるあるなご都合主義なエセ常識が、進化上では実は後天的で一過的な出来事であり、大衆を階層化して統治する方法は、決して必然ではなく変化してしかるべき事実である、という解釈を認める研究発表として、画期的。

 

そう思うと、なんだかんだで今の社会は、

人の関わりにわざわざ差を付けて上層に管理しやすくする方便なんだな、

と、恐ろしい現実に気づくことができる。

 

陰謀論と呼ばれる、多くの都市伝説は結構現実的な経験・由来・根拠が在って、生成された伝言ゲームみたいなもので、そのルーツを地道にたどる事はとても有意義な体験になり得るということでは無いだろうか。

 

くろまは陰謀論や都市伝説を、

単に妄信し過ぎるのはエセ宗教を増長させるのと同じだと考えるし、

逆に生理的・感情的に無視し続けるのは、社会的プロパガンダに利用されて仕舞い、

と思っているので、そのどちらにも潜む情報を扱う上での、危険性とリスクは他人頼りにならず、自分の考えをしっかり持つ上でも、避けてはならない不可欠な情報源と認識している立場。

 

みなさんも、お考えはさまざまな有ろうかと思うのですが、これからも情報氾濫化する時代を生きる一人として、余暇のひと時にでも一笑に付さず、陰謀論の根っこに思いを巡らせるのも、決して無駄ではないと思いますよ、ええ。