旅すれど居残れど、自然災害からは逃げられない
インドネシア津波災害に遭われた方々へ、まずはお悔やみ申し上げます。
ここ十年来だけでも、環太平洋火山帯付近に限らない地震・津波災害が、猛威を振るう時代に生きる私達、国内でももう何年も前から東南海地震が噂され、緊張感も続かない程、それに備える緊張感も慢性化する一方では、神経がいつまで持つかわからない。
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今回の津波は、地震の無い津波として注目をされたが、情報が明るみになるにつれ島火山の山体崩壊後の瓦礫が元で音無しで予知の難しい大津波だと報じられた。
静かに襲い来る津波災害が周知されて、緊張感は強制的に跳ね上がった。
同地方に度々起こっていた、地震が起こす津波以上のインパクトが、
ニュースで強調された。
このメディアの追い打ちのかけ方に違和感を覚えたが、
一応、自然発生的原因に納得せざるを得ない展開。
最近のメディアは、民放なら視聴率もあるのだろうが、
可能な限りインパクトを強調した報道のし方をするようになった。
火山の山体崩壊シーンを、俯瞰でまざまざと見せつけ、衝撃度をマックスまで高めている、今後もドローンもあるし色々出てくるかも知れない。
普段の私達は、CG技術の発達でたとえフィクションでも、超リアルなビジュアルによってバーチャルな災害シーンに見慣らされていて、ちょっとくらい過激なシーンであっても、少しづつ視覚聴覚の刺激に鈍感になりつつある。
天災ではないが、911事件の貿易センタービル崩壊の絵面は、
まだCGも拙い時代でもあって、イ当時のンパクトは映画シーンとは比較にならなかったが、今はその衝撃度がその当時程でなくなってきているのは自分だけだろうか。
普段から自分は慎重派だと自負するし、
その程度の刺激で、慣れるつもりはサラサラないのに。
危機感が鈍ってくる自分の感覚に気づき、恐れおののく。
これは心理学的に、刺激と緩和を繰り返す事で、違和感を無くす人の習性の話と同じのようだった。
「陰謀論者に非ずとも、その実感は十分脅威だ」
今起こる数々の驚異的事実だけでも、単なる偶然で済まそうとしても、現実逃避しようとも、もう余りにも無理がある現象が多すぎないか?
恐らくそう遠くない時期に、私達の平和に安全に生きようと、
そうするほど安全は神話となり、
リアリティが薄らぐのは、なぜか?
しがみつこうと、掴もうとすればするほどに、
スルスルと我が手から、すり抜けていくような気がしてならない。
くろまの救いは、無神論者であったこと。
何があっても、神や仏にすがらず、ここまで生きてこられたこと。
無神論者であっても、それを素直に感謝せざるを得ない。
だが今後、そんな者であっても、神仏の信者であっても、
その感謝さえ叶わない、神仏を超越すると称するものが現れる気がしてならない。
それは良くも悪くも奇蹟を起こし、
音もなく静かに現れては消え、
偶然を装う。
私達は、気まぐれな偶然さえも与えられず、
その奇蹟さえも、感謝できないようにされるのかもしれない。
これは露骨に言えないたとえでだけれど、
ある宗教は「偶像崇拝」を堅く禁じた。
それを堅く守っていたとしても、
もう意味のない努力になるかもしれない虚しさを、
彼らは、これから経験するかもしれない。
そんな時代がもう始まっていたとしても不思議では無いし、
仮称サイレント・ゴッドの計画は、誰も気づくことなく、
影のように私達のすぐ側に在る。
その収穫が、私達の糧に叶おうと叶うまいと。