国という単位の、ご近所の相思相愛について
最近、筆者にとって他人に思えない国がある。
それは、大国の中国にのみ込まれるかどうかの瀬戸際で、孤軍奮闘する南国の国「台湾」である。
何が他人事と思えないのか、
歴史的に見て(書物に残される歴史と言うより、考古学的と言うべきか)日本も台湾も少民族の集合体として発展した島国だということ。
こう話すと、日本は日本民族の国だと反論される方が少ないが、日本は現天皇一族が統一するまでに、地政学的に周囲の海や近くの大陸から様々な人々が渡り歩いてくる場所であり、その中の一部が居座った結果、小国家が点在し人工を増やしてきた島で、一説には一部の民族は既に史書を残し、独自の文字や文化を伝えて来たとも言われるように、現存する史書なき時代は多民族が存在したと考えられるからだ。
その点で、台湾もご存知の通り現地由来の他民族が先に存在し、後から大陸の統一国家の入植により中国独立派と統一派の共存する国になったという経緯は、歴史に明記の有無はあっても、似た経緯を持っていると考えている。
"中国は利用してナンボ"台湾人の共通認識 | プレジデントオンライン
日本は、今旧知のアメリカと連携し国際問題に貢献する立場にあるものの、太古の史書にもあるような、中国からの人種的侵食をあからさまに受けようとする時代にあって、その意味で同朋の立場をすれば韓国よりも台湾との共同戦略を優先したほうが合理的だと思えるのだ。
ただ現状は、それぞれが大国の傘下にあるのであり、大国の意向をないがしろにできない弱い立場で、経済・商業以外はつながりをいちから構築する位置にいる。
立場や利害は、人単位で言うのと同じで国単位で考えても、似たもの同士が固まった方が合理的だし、成功の確率も高くなる。
世の常で残念なのは、
「織姫と彦星」や「ロミオとジュリエット」に見るように、
相性の良いもの同士が、やすやすと一緒になっては都合の悪い立場の者も、
同時に存在してしまうという、世の理不尽さである。
それをも乗り越えて、思いはつながって行かなければならないのだろう。