くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

お国柄で異なるファッション観

フランスやアメリカなどの西洋ファッションをリスペクトし、それを超えた感のある国内のファッションシーンは、もちろん個人のそれを着こなすセンスによって様座なのですが、今でもフランス人のファンションセンスについての都市伝説についての記事を元に、ファッション観を考えます。 

 

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フランス人の「服装」が、日本とこんなに違うワケ(横川 由理) | マネー現代 | 講談社(1/3)

 

くろまは正直センスのかけらもないと思っていますが、フランス人のファッションへの認識とTPOは、まだまだ日本人にとって学ぶべきものがあると考えています。

特に合理的な選別観は、何事も極めようとする日本人にはない割り切りと信念があって、お国柄「階級」が明確にあったことから「身分にあった価格帯」の服・アクセサリーを身につける割り切りと、人に羨まれるより自分を惹きつけるコーディネートにこだわる信念が、比較的全体に行き渡っているという見方です。

 

あくまで自分がセンスあると誇張したいわけでなく、くろまにはこの合理性と個性の出し方の考えは自分に合っていると感じますが、皆さんはどうでしょうか?

ファッションでの「個性」の強さや押し出し方は、考え方は様々である意味自由の象徴みたいなものなので、フランスのそれは本来の自由度が高く、逆に「ブランド価値」に一定のこだわりを見せ、センスを比較する日本の考え方とは違和感を感じる人もいるかもしれません。

 

日本という市場は、世界文化の集積地として機能しているために、ファッションにしてもあらゆる「掟破り」や「クリエイティブ」なファッションセンスが、世界のシーンでも斬新なモードやトレンドとして注目され、逆輸入されているのは日本人としても誇らしいことです。

日本国内の一定のセンスの高さは認めつつも、一方で独自性に走りすぎる傾向もひていできないのも課題かもしれません。

 

センスにシビアなこだわりを見せる人でも、一部のファッションリーダーを除いて、実際に世界のトレンドやモードがどうなのかを直に体験できるかどうかで、ブランドの価値・選択眼は大きく変わってきます。

くろまのようなファッションを二次的に考える人と比べて、上のような人々が増えているように見える国内のファッションシーンが、今後世界へどれほどの影響力を持ってくるかは、東京オリンピック・万国博による、インバウンド客のその目で確かめられ・評価されるのでしょう。

 

 自由さをひたすら追求するフランス型ファッションを、緻密なモードを追従する日本型ファッションは、前者を超えているんでしょうか?

まだまだ先は長いのでしょうか? もうしばらく様子をみたいと思います。