経済評価を下す、目的と意味をおさえること
某ネットニュースメディアに出演された萩生田議員のコメントが、翌日一斉にTVメディアで炎上まがいに騒がれた経緯に、????な人も多いかもしれないが、論争のキーワードとなった7月にある「日銀短観」に異常反応したのは……
単に、某……虎ノ門ニュースの影響力の大きさに、政府や各メディア異常反応しただけで、そのメディアの反応はどうでもいいが、経済団体の反応に政府側の速攻火消しの反応にはちょっと驚いた。
虎ノ門…に脅迫めいたメールもあってなんかするかなとは思っていたが、今回のようなタイミングを利用して仕掛けるする側と、利用されたメディアと政府の反応合戦は、これからのトレンドかもしれない。
さて、経済を動かす原動力は、下のような記事にある「混ぜ返し」や、ノイズに当たる多様な経済評価の賜物と言っていい。
経済的な裕福を望む者は、こうした刺激を反射的に渇望し、一見根拠を示した評論家の意見を言い訳にして、ギャンブルに身を投じようとするのはなぜか?
これが今回のテーマ。
日銀短観が大幅に悪化しても景気が大丈夫な理由 (ダイヤモンド・オンライン)
筆者が一番厄介と感じるのは、経済評価の多くが専門用語と経済の仕組みを、より難解に語ってけむに巻いて、もっともらしいどうでもいい事で食い扶持を稼いでいでいることで、ノイズが起こる事実だ。
経済は、やはり専門的な基本知識や経験が無いと相手にされない領域だと思い込まされ、鵜呑みにする人が一定数存在することが原動力になっているのは間違い無いので、その影響力もバカにならないが、最も重要なのはそれが判断の道具になっているかということ。
その点、上の“ような”コメントに正当性があるかどうか?
大丈夫なわけないじゃない。
日銀短観は、あくまで政府側のいち見解にすぎず、異常反応れば印象操作につながりかねないだけに、短観の基になる現象を各個人が分析判断しないで、あとで騙されたとかの言い訳言うようでは論外な話。
こうした判断力の阻害に一役を担うノイズは、思う以上に多いようだ。
話を難しくして論点ズラしするのは、経済を斜め読みして目をのタネにする一種の副業でしかない。
本業と違って、副業ほど責任感の無い仕事はないのだから、副業で語られる意見を信用はできないし、むしろ印象操作の片棒の一端を担ぐ危険性が高いのだから、いい迷惑である。
経済情報は究極の客観的情報とも言える。
私見で判断すれば、簡単に足元を救われる。
客観的な情報は、門外漢の専門家の意見もバランスよく耳を傾ける寛大さと、
専門家の意見を盲信しない慎重さで、経済情報に含まれるノイズやバイアスを除き、
個人の判断力・意見を持つ。
一見当たり前に思えるこのスキルは、意外と実行が難しい。
時間や境遇が理由にされやすいのもあるが、自覚の無い判断のノイズ・バイアスを野放しにしているからだ。
そのフィルターしだいで、情報は意味を変えてしまう怖さが、常につきまとうもの。
心してかかりたい。