くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

平成で市民権を得た都市伝説、真贋を求めても見えない陰謀の姿

今週のお題「平成を振り返る」

その前の元号「昭和時代」では、その節目に立ち会ったことはないが「平成時代」との節目に、今回の令和への節目と同じことが起こるだろうという、実感はある。

その点で、大正→昭和の時も多分同じだったとは推測できる。

 

昭和→平成のときは、バブル崩壊からの余韻冷めやらぬ空気からの脱却を誰もが夢見た時期で、今思い返せばデフレの嵐が吹き荒れ、思うように景気は好転しなかった時代だったろう。

 

ここで、日本限定の元号にどれほどの経済的影響力があるんだ? と切り捨てる諸氏も少なくないかもしれないが、今回始まる前から「元号ビジネス」にあやかろうとする者が溢れたことを見ると、平成にはそれなりの効果があった反動だろうから、バカには出来ない。

 

令和の新時代を迎えるにあたり、元号の意味についても盛んに論議されさまざまな関心や評価がされるのは、まだまだ日本人にとって元号の持つコストフォーマンスは高められるのかもしれない。

その一方で、令和ネガキャンビジネスも台頭していて、誰でもわかる景気後退の現実を理由にした言いたい放題の言動は、彼らの心の裏返しでもある。 

 

 人は、元来感情の発電機を有しているが、ここに有する発電力が増発すると、とても都合の悪い者がいることは色々囁かれているが、多くの場合その存在が問題ではなくて、個人が発電機と同時に持つブレーカーを自らかけてしまう背徳心が問題であることが多い。

その罪への無意識を巧みに察しられ利用された結果、景気後退を現象化する憂き目にあうのであって、その弱さゆえに作り上げた偶像崇拝の姿が、さまざまな形として現れ、たまたま現実的に存在する組織・人物・物体、現象を含めたものに擦り合わせてしまうことも、往々にしてある。

 

それらを私を含めほとんどが内的にクリアできていない状態で敵や味方の判断は困難だろうし、無事クリアしたとしてそれでも感じる陰謀があるのなら、それが本来の陰謀の影なのだろうし、そこに光を当てていかなければならない。

 

光……あてる? キリスト教徒でもないが、ちょっと宗教っぽく比喩してみよう。

 

ヒカリ アレ。

 

はじめにそう命じた神は、何を成そうとしたのか?

 

その事実の真偽の追求は二の次であり、すべきはその真意の探求・実践ではないか?

私たちは各々が真顔になって「内なる真実」を、追い求めなければならないのではないだろうか。

 

その実践成果として、より内なる発電機の性能を引き出せるのかもしれないからだ。

 

president.jp

考えるだに恐ろしい"令和経済"のジリ貧 | プレジデントオンライン