くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

令和へも引き継がれる上級市民なる新時代の陰謀論

連休前後で追突事故が目立ち、人身事故も昨日も幼児2名が命を落とすなど悲劇は耐えない、それを見聞きするのに事故車のドライバーに年齢の偏りはない。 

 

とある交通事故が特別視され、大騒ぎとなる現象が何を意味するかを、私たちは少し特別な意識で考えなければならないかもしれないが、それを考える上で「上級市民」「上級国民」なるキーワードが注目される背景に触れる。

 

まるでこのキーワードは、昭和・平成から引きずる中産階級というコミュニストの生んだ思想に呼応するような、市民を階級化する発想が色濃く見えるし、ネット言論の自由化でわく陰謀論支持層にも好んで使われるマストワードにもなっているようだ。

 

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池袋事故で加熱する"上級国民"叩きの深層 | プレジデントオンライン

 

平等の名のもとに、明らかに存在するとする法の垣根をもものともしない、特別な市民の存在が、話題に上がるシーンが増えているのはなぜか?

 

穏健な日本人でもないがしろにできなくなった、平成に成熟してきた不公平感は、あらゆる証拠と理論建てられた説得力を増してくるのは何を意味するか、平和主義の人々もそろそろ真顔で耳を傾けても良いのかもしれない。

 

 おそらく未だ審議中のこの事件の結末は、よくあることのようにうやむやにされるべきではないし、むしろ一定の指揮者によって正しい結果にまで追い込まれると思うのは筆者だけではないだろう。

 

この駆け引きがこれまで通り特定の市民に優位に働くことがあるとしたら、かつては都市伝説的に囁かれた「特権あるとされる人々」をむしろ浮き彫りにすることになり、伝説は事実となる危険性?をはらんでおり、その事実を明らかにすることは公平な法の執行と、民主社会の透明性を明確にする避けては通れない試練であり、例え消される動きが伴おうと、自由なネットワークによって何度でも復活するだろうし、されなくてはならないものだ。