くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

(反省)遮眼帯をはめたドライバーたちの末路

立て続けに報道された交通事故において、ついに渋谷で起きた理不尽な事故の加害者が、ようやく重い口を開いたが、その哀れを誘う姿はまさに全交通事故の加害者側を代表するごとき、言い訳の象徴に見えた。

 

もうほとんど定説化する交通事故ワースト1の事故多発都道府県の愛知は、地元ながらもダントツの安定圏になると、危機感も薄れガチになって同時に清々しささえ感じる……などと言ったら不謹慎な話、けれどワーストワンだけにそこに住む者として、何か見えてくるモノが何かないだろうかと、考えた次第。

 

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なぜこの県で事故が多発? 県別交通事故発生件数ランキングワースト5 | くるまのニュース

 

昨今高齢化社会による注目度もあって、バッシングに近い高齢ドライバーの交通事故ニュースを取りあげるオールドメディアが跡を立たず、ただでさえ神経質な対象者は肩身が狭かろう。

話は戻るが、これだけ交通事故が多い愛知県に住んでいるドライバーからして、事故を起こす輩に老若男女は関係無いように見えてならないのだが、いかがか。

 

筆者が事故を起こさないでいられるのは、単純なことで「確認すべき事を素直に実行している」結果であって、逆に言えばこの反対の「してないドライバー」は、誰であろうと格段に事故率を跳ね上げる一人なのだという、動かし難い事実だと思う。

 

愛知県のそれを筆者なりに分析すると高事故率の原因を例えれば、まさに「遮眼帯をはめたドライバー」が多いと言うことではないか?

 

県内の道路を走っていて目につくのが、前もって意思表示をせずに、

ハンドルを切ったりアクセルを踏んでしまうであろうドライバーが存在するということであり、その「無責任さにあまあま」な現実があるということになる。

 他県の人が愛知県の道路を走っても、同様の感想を持つというから、あながち間違いではないと思える。

 

その様は、事故を起こすドライバーそのもので、自分以外の車しか意識できなくなっているか、下手すると彼らの脳内では都合の悪い車や信号は見えなくしているのだろうか。

 

特に休日のトラフィック増加で、サンデードライバーが激増した時は、さらにヤバさは増し増しなのが手に取るようにわかるし、その秩序が薄れ勝ちな混雑の中で、ベテランドライバーでさえイラついて、自分の運転を正当化しやすくなるリスクも増す。

 

経験不足の初心者や反射神経の衰えたドライバーには、さらに過酷になり同情を隠せないが、こうした極限状態では(もしくは利己的意思で自らそうした状況をつくってしまう)運転歴の長さに関係なく、利己的な運転者はその姿を露わにする。

 

さらにメディアは、利己的ドライバー弱者ドライバー関係なく、容赦無い攻撃は何か違う気がするし、もし意図的にそうしたいのなら、統計的根拠や医学的道理を明確に示すべきで、それさえ無い報道は単なる扇動か情報誘導かと疑いたくなる。

結果的にこのような事故報道は、道理に適切な指摘ならむしろ反面教師として役立つが、他に重要なニュースがあろうが、キャッチーな情動報道に始終するなら、それはストレスでしかなくなっている。

 

さて報道姿勢もそうだが、肝心なのは私達ドライバーの安全意識とその実行に尽きるし、運転する際に利便性を享受できる対価として、人の命を奪いかねないリスクを増している、という自覚が最も大事であり、個性尊重の時代とは言えども、運転での自己主張を、ハンドルやアクセル操作に無意識に反映させているだけなら交通事故は減らないのは当然。

本来、そこまで追求する必要があるかないかはそれぞれとしても、その客観性と判断力に不安を感じるのなら、その領域から自己の運転姿勢を改めた方が、結果的に幸せかもしれない。

 

今、自動車メーカーは自動車の危険性と存在意義を重く見て、技術面での改善を急いでいる、それはそれで前向きな改善だが、それにくわえてドライバーはどこまで改善をしめすことができるかも、改めて問われるだろう。

危険行動の潜在意識は、筆者も例外なく誰もが大なり小なり共通に持っていて、例え誰も覗けない量域であっても、守るべき意識の程度によっては、結果として事故者として現れるのだから、隠せない事実を自ら隠すのだけはやめた方が賢明だし、その結果が素直な安全認識と安全ドライブにつながっていく気がする。