「排他的経済水域」が撤廃される可能性を考える
日本の国力と資源力を担保するのには、いくつかの国際的に共有されるルールが保持されて保たれているものがある。
そのひとつ、海洋資源・防衛に貢献する「排他的経済水域」は、海洋国日本にとって、死守すべき「権利」だ。
その権利が、単に大きな岩が一つ海面からでているのを、周りをコンクリートで固めてかろうじて保っている事実は、普段私たちには実感が薄い。
その島が保障する「排他的経済水域」などの日本固有の資産を自衛するには、海上保安庁か海上自衛隊の力に頼らざるを得ない。
しかし、今後中国など西洋資本圏とはロジックの異なる国家の強力化によって、その侵犯が危ぶまれている今、日本は自衛のための手段に何をしなければならないのだろうか。
国内の権威や識者には「国際交渉力を高めろ」と机上の空論に始終する者が後を絶たないが、現実的に根本的なルールの異なる国に対し、西洋ルールを押し付けて勝てるわけがないのだが、彼らはそれに対し回答した試しがない。
日本では最近子どもの教育に「手を出すのはタブー」という慣習が根付いてしまったが、わが子でさえ時には手を出さないと解決できないことがあるのは現実なのに、
何もかもが異質の国同士が何でも「話せば解る」で解決できるとはとても思えない。
万が一手を出さざるを得なくなった時、相手に理解させる、または説得するためにはそれ相応の「自衛兵器」が必要となる。
その使用の決定には、日本にとって「憲法9条2項」が致命的なネックになるのはご存知の通りだが、現政府はそれを改変すると言っている。
かつての様にアメリカの傘下でまもられた(と信じていた)時代はいいが、今は真の自衛がどの国でも例外なく求められる時代。
その時代の変化に、私たちは対応すべきか、なにもせずに目をふさぐのか?
ただ、たとえ自衛手段をもつにしても、名乗るべき国土は果てしなく広大だ。
名にはともあれ先立つものは資金だが、
その蓄えは有るのか?
その設備はどこに置くのか?
その運営と人材育成は?
などなど……
結論を出してからも、多くのハードルが待っている。
しかし、私たちはその結論前の段階で、なぜか言い訳しながら足踏みだけを繰り返しているが、世間はその甘さを待ってはくれておらず、虎視眈々と狙っている。