管理を軸とした「働き方改革」が、そもそも日本をダメにする
働き方、という手順をいくら工夫しても仕事の改革にならない。
世の中に存在する仕事の大半が一定以上のコントロール下で動いているからで、
それ故管理ゼロの仕事は存在してはならない仕組みを理解したい。
雇用者は安心安定を給料で買い、被雇用者は自由を売る関係で、
そのシステム下において、むしろ創造性は障害でしかないということ。
自由に働く組織に帰るための3つのステップ:「管理ゼロで成果なんか上がるわけがない!」と信じ切っている人へ (3/3) - ITmedia ビジネスオンライン
この管理やシステムに、疑問を感じる雇用者が増えるのはなぜか?
管理で成り立つ社会の範疇で、創造という創意工夫する行動は働き手に生きがいを感じる事実は、昔から存在した。
さらに、新興企業は導入しやすいが、企業の成長段階の期間において可能であって、成熟段階では工夫余地は限られてくることが常識化され、創造による経済効果を抑制し表面化されにくくなっていただけではないか、という疑問符もあった。
上の参照記事の事実は、企業の利益拡大に組織の管理集約より、分散化が理想なのではないかという仮説を、システム構築を専門とする企業を通して証明されつつある。
これは、これからは分散型企業と集合型企業の争いになることを意味する。
前者は機動力を、後者は資本力をそれぞれ武器に総当たり戦を続けることになる。
その中で、集合型企業において管理型の働き方を改革する意味はもう無い。
仕事を分散化し個々に責任と創造性をもたせ、その成果をわかり易くすることで、
管理という作業そのものを無くすことができるからだ。
日本にはそもそも「のれん分け」という分散化システムが確立していた。
西洋から入ったカンパニー制度は、ピラミッド型の管理制度を東洋国家に普及させたのであり、その頂点による統制を当たり前のようにふるまっているのが、現在の姿。
新興企業はもちろん既存企業の成長にこの仕組みが、生産性を加速するか収束させるかは、今更考えるまでもなく特に日本にとっては、旧知を再見するのが早道ではないか。
統合より解放が注目される背景には、然るべき理由があったのだ。
そのためには、多様性の評価と情報の透明化がカギになる。
西洋バイアスからの一旦脱却と、日本の歴史から学びなおす行程を経て、
世界に負けない日本のための、創造性は再構築されるだろう。