彼女たちが追う理想と背負う未来
これは、女性だけに言えることではないかもしれないが、
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだーれ?」
映像系SNSを駆使して興味を刺激するビジュアルを追い求め続けるその深層に、
アイデンティティへの自負と誇示を見るような気がしてならない。
鏡に映る虚像と、鏡の前に立つ現実の自分を使い分ける事に、執拗に長けた人々が多くなったのは時代の流れか?
現実にはできないと鼻から認め、虚像にその夢を託すのかも知れない。
そもそも、2つの人格を自ら容認するからおかしくなるのではないか。
できることを正面から見据えて、理想を行動で実現する執念が薄れるのはなぜか。
別々の自分磨きに地道をあげるのも一つの処方箋かもしれないが、
使い分けた結果、おきるであろう責任はその分増す訳で、
その自覚は放棄できない現実を背負う事にもなる。
流行への飽くなき追求、
流行と自分らしさを追っている、
コミュニケーション=繋がりたい、同じでいたい
器用で柔軟な若い感性たちは、
置き去りや、思い残した思いを持った大人たちを刺激し、
別世界の自分への誘惑を何も知らずに先導する時代。
こうした行動をする私たちに、鏡は何と答えるだろうか?
画期的な時代になったと、色々と興味深い。
未来の「デジタルアイデンティティ」は、日本の女子高生に学んだほうがいい|WIRED.jp