くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

情報が先か目的が先か? IT社会の海でおぼれないために。

「もうすでに、多くの人が有り余るほどの情報を持て余し、方向を見失っている。」

 

と、情報化時代が説明される際に、冠ことばとして頻出するシーンをよく見るが、

まだTVメディアだけに依存し、その範囲でしか社会を見ていない人以外にとって、

その言い方さえ使い古された言葉だと、一笑に付すかもしれない。

 

この意見が、すでに一般的なのかどうかを筆者は言われるままに鵜呑みにする質ではないので、TV情報とSNS の情報を見比べ、そこに意見される内容をできる限りフラットな目で観察してみた。

 

筆者の独自の結論は、

相変わらず、見失っているだろう人もいれば、そうでない人もいる。

というものだった。

 

曖昧模糊な結論ではあるが、相対的に言えば情報持て余しを乗り越えているとはまだまだ言えないということは、ハッキリと理解した。

 

ここで、筆者はその段階を解脱した立場として、ものをいうつもりはさらさらない。

単に私観が客観的な目線で見れているかを自信に課しているだけで、それができているという確認ができた程度の話でしかないからだ。

 

そのうえで、情報持て余しをしてしまう要因を再確認してみたいのだが、一つ大きな枠として言えるのが、

「手順の逆転」

と言う名の誤解はあるだろう。

これは、目的があって情報をさがすのは本来であるのに、

目的さがしに情報を漁る時間浪費のことで、

 

その目的意識もないまま不用意に情報を浴びてしまったたり、

不明確だから目的さがしという動機で情報を漁る、

 

その悪習慣への危機感を感じられるかどうかである。

 

情報には、ある一つをとっても様々な顔があって、情報発信側の意図によって一文一句同じ文章であってもメッセージが異なることが往々にしてある事実に反応するには、この危機感・自覚が欠かせない。

 

仮に発信者の意図が明確ならばまだいいが、

その真意をあいまいにした情報を信用した際に、

受信者が真意を理解できているか否かで宝にもゴミにもなるリスクを持っているので、

理解できないまま・咀嚼しないままだと、

情報入手の目的が重要案件だった場合のダメージは計り知れないし、

隠された意図に悪意があればそれに気づくこともなく妄信することにもなりかねない。

 

結果、

「何を信用したらいいか判らない」

という声も良く見聞きする、なぜそうなるのか?

 

情報整理力は、数を集めてまとめ、分類して記録する。

これがスキルの本質ではないと筆者は思っている。

 

まずは、自身の明確な意図ありきだが、情報を本能的に切り分ける、

のが本質だと考えてるからだ。

 

余り多くの切り分けできなくとも、そこが問題ではない。

切り分けた範囲で判断すればよいのであって、その時点で不足かどうかの不安を自信に課す必要などないと思っている。

 

ぶれない目的と信条、それを軸に目の前の情報から切り分け、

できた範疇で結論をまず出す、の繰り返し。

 

淡々と繰り返せることこそ重要で、情報は整理しなくとも判断できれば生きる。

 

この点でスピードが速ければ、それに越したことはないが、自分の能力相応のスピードを超えることはそもそもできないから、くよくよせずにできるところから片付ける。

 

一秒とても、迷いは最大の敵だということも、肝に銘じたい。

 

その結果、周りにどれだけ追いつけたかを、時々上の様にチェックすればいい。

足らなければ、地道に努力するだけだ。

 

姿勢はそういうことだが、注意が必要なのは自分をしっかり持っていないと、本当に必要な情報は寄ってこないということだけで、寝ている時間以外は受動情報や能動情報を無心にひたすらさばく、これだけだではないだろうか。