くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

メディアの三面記事化から汲み取る、未来の姿

普段なら、全く興味の無い話題を無理くり筆者風に記事化してみると、某女優さんのトピックをあげて見ると、この一連の話題がどこまで真実で、どれほど重要なことなのかは 全くわからないが、ある事無い事を混ぜ、演出し、さもあるかのように見せる手法にはどこか覚えがある。

 

www.j-cast.com

明石家さんま、唐田えりかに「すぐ浮気する!」 2カ月前の番組で意味深やりとり : J-CASTニュース

 

 今オールドメディアが陥っている、視聴率至上主義の姿そのものが、本来の視聴者求めているものや真実の報道から遠ざかり、また別のパトロンの忖度を栄養源に作られ、視聴者を感化させる姿とシンクロする。

 

いや、むしろそういう種類の忖度が前提でメディアは存在するのかもしれない。

 

 この見た目は可愛らしい、万人受けする容姿の彼女は、アイコンであり忖度の象徴であり、人柱の一人だけなのではないか?

 

そんな覚めた見方を口にすれば「つまんねーやつ」とドン引きされるのだろうが、世の中どこに重点をおいて生活すればいいのか、はっきりと答えられるものが居るかどうかさえ怪しい世の中。

 

我々は、彼女のような代表者を興味津々に見ることで、逆らわないという宣誓を繰り返していくのかもしれないと、ふと思うのだ。

 

その対象は、記事のようにより可愛く、またあるときはよりイケメンだったり、セレブであったり平和主義者であったり……

 

これが大人であれば、納得もしよう。

 

しかし、だ。

 

時として、いや往々にしてその対象に、真に純粋なる子どもが担がれることには、とても我慢がならないし、むしろ増えてきた。

 

子どもは、大人に憧れ模倣しながら、それを糧にして成長する生き物だ。

 

大人が彼らを”利用”することで、真の純粋さは目減りし、行く先の未来を決して明るくない方向へ誘っていく。

 

まるで、未来を奪われた子どもが大人になって、その子どもにツケを払わせようとしているように。

 

未来を良くするということは、子どもに忖度すると言う、

「大人にはあり得ない選択肢」

を実行することに他ならないのではないか。

 

迷路を彷徨う思考の迷路の帰結は、何度もそこに辿り着いてしまうのは、

なぜなのか……?