上級国民は、仮想羊の夢を見るか?
近未来の理想の職業環境、テレワーク。
あなたもの職場も近い将来、そうなるとお思いか?
Yes, or No?
この手の記事を見て、差別感や憤り、反抗心が芽生えるのなら、その人は既に下級市民の登竜門に足を片方ツッコんでいるかもしれない。
「休めるのは“上級国民”だけ」新型コロナ非正規労働者の嘆き。テレワーク対象外に生活補償なし | Business Insider Japan
これからがその選別の決定的な時期になってくると思わせるのは、今年いっぱいでどれほどのこのような煽り記事が発信されるかに注目しておこう。
それほど多くなければ、まだ小出しの時期であり、露骨に増えればいよいよ彼らは、詰将棋で言えば文字通り詰めのラストスパートをかけたことになる。
既に下級市民を自負自覚している者は、既にそれ相応の覚悟をしているだろうし、まだ踏ん切りがつかなかったり踏ん張ろうとしている者は、特に気にしたほうが良い。
目を背けるのは論外で、明らかに上級市民出ない限り、自殺行為に近い。
筆者がなぜこだわるのか、それは自身が下級市民だと自覚しているからで、上級市民からの見下した目線からでは無い。
ここ類の記事の骨子は、同胞からの警告であり、詐欺勧告の号令でもある。
明かされる未来を、すべての市民が享受できる未来だと、諭そうとする広告やドラマ、ニュースは、その不平等な線引を、曖昧にしたまま垂れ流される。
それに煽られて、上級市民と同じ消費行動を続けるのなら、明らかに無自覚であり、鈍感であり、彼らへの忖度にしかならない。
諦められない、もしくはまだチャンスはあると自分を励ますのは良いが、自覚をして行動するのと、曖昧なまま行動するのでは、雲泥の差が出るのは自明の理。
少なくとも日本では、一部の彼らが過半数の政治家や経済家、市民を家畜化している現実を、あらゆるニュースから拾い集め、自分の行動を決定する時期なのだと。
自分は一体どちらなのだと迷っているなら、その人はその時点で下級市民であり、上級市民はその感情などさらさら持たないで、永遠の今が続くと信じて疑わないのだ。
ただ唯一、眉尾を吊り上げるとすれば、彼らの飼従順な子羊たちが、自身の土地の境界から抜け出そうとするときである。
彼らの仮想現実は、柵を飛び越えようとする羊を貶める穴を掘ることであり、羊がそれにハマれば喜び、乗り越えようとする知恵のついた羊を、駆逐する罠を仕掛けることに費やされる。
羊が一匹…羊が二匹…
彼らの見る夢では、羊は柵を乗り越えるのでは無く、落とし穴に落ちていくのである。
今の国家予算は、彼らの仮想現実の悪夢のために費やされている……