世に出る不祥事が示す事実を裏読みする
下の記事を読んで「またか」とだらしない公務員の業務に深いため息を吐く事が、やたら増えたとお考えの諸氏、ちょっと短絡的に考えるのを一旦止めてほしいという話をする。
額面通りにケアレスミスとして、批判することも出来るが、これが仮にわざとそうしたと考えると、そこから何が推測できるか、連想ゲームをしてみようじゃないか。
わざとするには当然なにかの狙いがあると言うことだが、それが財務処理の不正隠しと見るのか地方自治体への観測気球と見るのかで、我々への恩恵も変わってくるだろう。
前者の立場であれば私利私欲であり、陰謀論的な不満や疑惑のラビリンスへと我々を導くことになるが、後者だったらどうだろうか?
たとえば、中央だけでなく地方の不正も起こりうるわけで、政府がミスリード情報を拡散し、それに対して地方自治体の動きを観察し、割り当て金の使途を見極めるという見方もできる。
事実、 ”今回は” 政府は何かのタイミングを見計らってか、比較的早々に誤りを公開していることからも、前者の公算は低くなるだろう。
もっともらしい「忙殺され単に間違えた」という理由は、これほど重要な緊急案件には相応しいとは考えにくく、それほど政府は無能であるはずがないし、むしろ何らかの意図があったと見た方がいいだろう。
この事例は言うまでもなく一時例に過ぎないものの、こうした枚挙の無い不祥事によって、悪印象を被る側の立場に立てば、おいそれ単純なケアレスミス公開を連発するには、それなりの見返りが無ければ多くは隠されるだろう。
かといって、我々庶民レベルでは例え国内を揺るがす疑獄だと疑っても、それを単体で証明することはほぼ絶望的で、その現実が世に放たれた疑惑を都市伝説レベルでとどめてしまうのだ。
仕掛ける側に立てば、その理不尽さを熟知したうえでミスリードを誘う中で、紛れて本筋を明らかにしていくのは、十分アリな戦略じゃないだろうか。