くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

人間の論理思考の限界、トンデモ話に真実は隠れている?

都市伝説の話題が、再注目されている一番大きな意義は、今の科学や技術だけでは全体像が確かめられ無いと言う限界が見えてきたからであり、これからの時代非現実と切り捨てるのは、問題になるかもしれない。

 

都市伝説論者に誰もが一様に信じて良いものとは言わないが、思わぬことに気づかされたり、意外な発見が多いことにお気づきだろうか。

 

その情報が妄想なのか創造なのか、見極めは必要としても、今の都市伝説(昔から実は存在価値は変わっていないのだ)がどれだけ少い説明で大局的な事象を正確に捉えているか、結構関心さえ向けない人が多いのでは無いだろうか。

 

Youtubeを見れば多くの都市伝説が闊歩しているが、見捨てるには惜しいものもあることに、本来現実主義者の筆者も気づくことができたので共有しておこう。

 

その信憑性を探るヒントは、現実に起こった事実と符合する要素がどれ程沢山含んでいるかどうかで判断できるが、あくまで自分がどれだけ常識的な判断と非常識な見方を許容できるかにもよる。

 

また、数字ゲームのように巧妙に偶然の一致を計画に操作しているものもあるので注意は必要だが、一度まとまった時間が取れたら、現実を忘れイッキに見まくることを体験してもいいだろう。

 

見終わった後は直後、訳が判らない心理状態になるだろうが、一晩あけると以外に頭がスッキリして、寝覚めが良かったりする。

 

手軽に現実逃避できる面で、結構オススメであるが寝る前に実行して寝落ちするくらいが良いかもしれない。

 

さて、それを見慣れてくると奇妙な真実味を覚える話題が出てくるだろう。

 

実際には、その真実味が実生活に役立つことは無いだろうが、その思考回路は現実社会だけで生きていても、決して得られるものでは無いが、その発想がある時ふと役立ったりするから不思議だ。

 

おそらくこの不思議や偶然を体験することと、人が夢をなぜ見るのかという原因と、何か共通性とか関連性があるかもしれない、と思うことはある。

 

就寝する以前の体験や記憶を整理するために脳がリセットされる際に見るのが夢だと考えれば、寝る前に非現実的な事やとっぴな事などの普段と異なった意外性を咥えてあげることで、夢の整理の仕方がマンネリ化されないのではないか?

 

人が新しい発想や、発明を思いつくときに「夢にでてきた」という体験談を話す人は良く聞くが、そういった時にも煮詰まった思考が、脳回路の整理の際に意図しない偶然のリンクで、意図しない発想につながる……。

 

その材料は事前に意識化の中で、詰め込まれてはいるが、それらの結合が起きている段階でできない状態で、睡眠という脳の刺激によって神経が本能的に、理性とは異なった再結合をした結果ではないか。

 

夢はその結合や分離の経過の中でうけた刺激が、夢となってビジョン化していると考えれば、筆者には腑に落ちることが何度もあるのである。

 

論理思考を好む男性より、直観が冴え的確な答えを見つけやすい例でも、必ずしもすべてが論理思考が正しいとは限らず、得てして理論志向は保守的な発想に傾く原因にもなっている。

 

直観的な発想、または異質な知識を取り入れることで、意外と満タンになっていた頭の中は、いくらでも詰め込める状態になることは、理論的に説明できなくともおそらく正しいことは、いくらでもある。

 

トンデモ話は、結構理屈では理解できない謎や、不安を話題にしたものが多いことを思えば、素直に気になった話題は一度一から十まで確かめた方が良い。

 

その夜に何が起こるか、筆者は責任はとれないが、体験上多くの場合は新しい朝を迎えることがおおいことからも、是非お試しすることをお勧めする。

 

だれが話を逸らそうとも、否定しようとも、自分が気になることは納得のいくまで調べるのは、翌日を最も満足して過ごせる最良の方法だと信じている。