くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

イルカショー・クジラの文化で表面化する、根深い矛盾

先日国内でニュースになった、外国人にとってのイルカショーの印象にしても、クジラを食肉と見ないIWCの見解にしても、彼らにとって日本人の文化は「野蛮人」の所業にしか映らないんでしょうか。

 

彼ら(主に西洋人)の社会文化にも我々から見て同様な事例はあっても、スタンダードを自負する彼らには問答無用なので、結局受け入れる事になるのだろうか。

多様性ルールを打ち出す昨今の風潮の中で、彼らの文化に合わないものは多様性とみなさないかたくなさが、多様性の難しさをさらに複雑にしている。

 

多様性を受け入れるとは、宗教や性、文化や歴史の相違のズレから生まれるリスクを、平等に分かち合える概念だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 

www.afpbb.com

IWC、商業捕鯨再開案を否決 日本は脱退示唆 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

 

クジラに関しては、捕鯨で乱獲したのは彼らで、とりっぱなしでクジラは激減した。一方、日本人は責任を持って減らない努力をして捕鯨するノウハウを持っている。

 

クジラ保護の気運には、

映画「STAR TREK」のエピソード4

の反響が大きかったように思う。

 

このエピソードで国内でも公開当時、保護派が激増した印象があった。

確かにクジラは私達ヒトと同じ哺乳類で、ダーウィン進化論で言う最も進化した生物と言う事になっているし、事実としてもイルカ同様賢い海の動物でもある。

 

ここで日本人としてのくろまの解釈・弁解しておくと、ショーを楽しむ私達にとって、芸をするイルカはどちらかと言うと、彼らの歴史観のような見世物小屋の下等生物ではなく、人以上に芸達者なリスペクトすべき相手であり、子供の情操教育にとても役立つ、愛すべき存在となっているとも言いたいのだ。

 

少なくとも飼育員達は、そんな扱いをしている話を聞いたことが無いことからしても、概ね正当化できると思う。

 

それでも彼らを保護したい人の欲求は否定できないが、同じ人間同士でさえ多様性を認められていない上では、それ以前におそまつなのも事実。

多くの方がその現実を隠し矛盾に結論を出さないままで、この保護活動に加わっているとすれば、この保護という名のムーブメントにはもっと別の根深い人間の心理が関わっているような気がして、どうも素直に賛同しかねる今日この頃なのだ。

 

その間も、イルカやクジラたちは人間の思惑を知る由もなく、人生を全うするだけなのだ。