くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

報道メディアとて逃れられない掟

新しい情報通信網の時代にあって、プロフェッショナルであってもアマチュアでも、情報の価値はよりシビアに判定される時代を意味する。

 

興味と説得力が最大の価値観になり、書く話す伝える事に長けて有利なはずのプロフェッショナルとて,、速報性や真実味においてアマチュアに出し抜かれても不思議では無い時代である。

 

これまでの報道では、プロしかその権限が無いかのような錯覚が、本来のプロの報道姿勢を歪めてしまったために、視聴・読者側の知る権利に寄り添う姿勢が、いつの間にかだまし操作する方向へプロのテクニックが応用されるケースが問題視されている。

 

報道メディアがITによって大容量高速化され、しかも誰でもそこそこのクオリティで情報発信できる時代において、それでも反省の無いままプロはあぐらを書き続けるのか。

 

現状、大手動きは何もなかったかのように取り繕いながら、一部から単に三面記事的なテキトーなゴシップ記事をでっち上げ報道する姿勢が、そろそろオールドメディアとして悪評につながる時期期もなっているようだ。

 

高齢者層の一部に、旧態依然の報道期間を一定数信奉。信頼している分、その視聴率に頼る報道づくりが後を断たないが、本来啓蒙してこそプロ報道マンではないのか?

 

情報の真実味や信頼度も、下手な大手より評価されるケースも増えている印象を持つことは無いだろうか?

 

むしろ能動的情報発信が生活習慣の一部とった今、正しい情報の選別に苦慮することも多くなった。

 

その解決には、発信者の実体験は信憑性を測るのに大きく役立つ、その意味でも情報発信に不慣れなまま情報の海に身を投げるのは自殺行為なのはご理解いただけるだろう。

 

様々な立場の人が、その立場に立って報道する行為は、より緊急時には有用であったり、表現はたどたどしくともプロのそれより説得力を感じるのはなぜなのか?

 

 

猛反省を促すと同時に、一般者の真実の探求と興味を高める良い機会として、積極的に情報発信者として参加してほしい。

 

情報発信の最大の問題は、批判する側に立って物事をネガティブに誘導してしまうのに加担する事と言うこと、この大きな罪を自覚している者が余りにも多すぎると言う点だ。

 

発信者・受信者そのどちらの立場にも当たり前に立てる時代なのだ、受け身のままその立場だけの無責任さにぬくぬくと生きられる時代でなく、突然情報加害者となることもあり得る時代。

 

それは子どもなら社会参加の窓口として、高齢者でも社会貢献や生きがいつながる糧に、年齢や性別職種に関係なく多種多様な情報を理解できる社会を、実現するためにも情報発信は自己表現やアウトプットの経験の場として、積極的に行動してほしいのだ。

 

 

”一生懸命”が評価された、日本の職場習慣の将来性

国内で、経済成長著しかったころには単に「身体一つで”やる気”だけ」持っていれば、即戦力になるし、これまで十分経済成長も見込まれてきたように、一生懸命がんばれば評価された日本の職場環境とは、正しかったのだろうか。

 

今でこそ、多くの人がその問いかけに首を傾げる人が増えているように、様々な偶然や意図的な狙いが功を奏して結果的に成功事例を生み出してこれたのは、むしろラッキーだったに違いない。

 

ただ誰もが、いまさら将来までこの幸運が続くと信じる者はほぼいないだろうし、市場のグローバル化が浸透する中で、努力の量よりシンプルな結果が要求されるドライな社会が、当たり前になるのは分かっていることだ。

 

しかし急には人の心構えは変わらないのか、そのおかげで新しい働き手には旧態依然の仕事観は継続され、その一方結果は否応なしに要求され、その狭間で宙ぶらりんのままブラックな職場環境が、悲鳴を上げている。

 

これからの新しい働き手には、もう子どもの頃から解っているのだ。

 

古い掟の中でしか働けない人の中で、不条理な要求を器用にかわしながら、新しい職場環境を気づかなければならない現実に。

 

新規参入企業はこの不条理を解決する必要は無い、もっともその不条理を受けるのは高額好待遇を期待して入った大企業の新人たちだ。

 

中小企業のそれは、そもそも大企業に比べたら弱い立場であるのは昔から変わらないので、入った時点で覚悟の上の話だが、個人志向化傾向の高い新人にとって、大企業のそれは拷問に近いに違いない。

 

中小企業の彼らにとって、待遇が良い分恵まれていると思うかもしれないが、考える以上に大企業の束縛と不条理は半端ない上に理不尽だ。

 

よって大企業の社風にもよるかもしれないが、多くは大企業病に冒され新人育成も型にはまった真新しさの無いものが多く、ロボット生産工場のようなものだ。

 

そう、日本の企業風土は海外のそれに比べて、個別の実力を評価せず利用するだけで、個人の才能を会社の評価に転用し、都合悪ければ塩付けにし無能化するような、縦社会特有の組織を作りたがる。

 

しかし、世の中はIT・ネットワーク優先の並列社会であり、むしろ縦社会構造は情報の不透明化の温床であるため、いま中国共産党が世界に叩かれるように歓迎されない。

 

今後も日本の職場環境は、高齢化社会で旧態依然の働き手が、会社の主要業務を押さえる状態は続き、新陳代謝は起きにくいが、世界はグローバル社会の時代に未だオールド〇〇が好まれる時代錯誤のまま、取り残されるのか?

 

今までの日本の産業構造では、生産業が主であったため得意とした技術継承は、とてもスムースにされてきた。

 

ところが、昨今技術面は自動化される世にあって、運営・企画・営業面の継承は門外不出だったり、個人ノウハウの意識が強いためか、継承がちぐはぐに見える。

 

技術肌の日本気質の濃い国内の職場環境は、いまだ個人能力の評価基準が貧しく、全体評価機運が強いために、ノウハウの個人間継承には懐疑的で過度な規制がまだまだ多い。

 

AIや自動化システムにノウハウを学ばせられるのは、多くは技術的なものであって高度な人間関係やコミュニケーションを駆使せざるを得ない業種には、人間の個人能力が欠かせない。

 

ただでさえ人材不足の時代に、個人的な経験やノウハウを企業が縛る慣習は、その将来性や拡張には、マイナスにしかならずむしろ生産性を下げることにつながる。

 

アフターコロナとか、ニューノーマルなどが叫ばれるようになったのは、大きく職場環境や生活パターンが変わらざるを得ない現実からで、半強制的に変わるあらゆる環境に慣れるには、日本は言うまでもなく時間がかかるだろう。

 

それを見越した企業の根本的改革が、その国の経済成長を大きく左右する事実を、日本の企業は旧態依然の意識のせいにしてはならないし、これまでの動かなかったツケに自腹を切るべきだろう。

 

もし、従来の意識から抜け出せない”歯車”でありたいのなら、せめて社内で経験者ほど新人の様に意識を改め、多くの本を読み、新しい社会の在り方を文字通り正しく理解して、今後のあるべき”歯車”として行動すべきなのだ。

 

過去にどれほどの成績を残してきたどうかにかかわらず、その評価は自身がするものでなく、周辺が評価し惜しむものである、それが居座る理由にはならないし、自分こそ被害者だと居直る者も、被害に加担する側になる前に後退したほうが良い。

 

継承の意志も無く、その改革意識すら無い者は、今入りたてでいわれのない覚悟を背負わされている新人のほうが過酷なのだから、ベテランが覚悟できていない時点で年功序列に踊らされた自分に気づくべきだろう。

宮城県に現れた気球、今さらアナログなテクノロジーは何を語るか

もう日が経って久しくなったが、宮城県上空に突然現れ滞空し続けた”謎の気球”の正体について、そろそろ忘れ去られそうなので敢えて蒸し返すが、正体が調べていまだ不明なのか、単に不明のままで終わらせたいのか謎である。 

 

 気になった筆者は関連ニュースを追っているが、仮説としてはだれが考えても二つで、一つは平和利用でもう一つは軍事目的、正体はそのどちらなのか?

 

テレ東の記事にアフリカケニアの疑似ケースが載っていたが、この線が最も無難な正体の一例だろう。

 

www.tv-tokyo.co.jp

「謎」の飛行物体がケニアに その正体は・・・|テレ東NEWS:テレビ東京

 

もう一方で、もう少し専門的な予測が下記の記事だが、ドイツの研究機関がアメリカと共同開発中の、高性能な通信ステーションではないかという、かなり具体的な相似例だ。 

 

 

asagei.biz

宮城県が「UFO」に認定!謎の「白い飛行物体」はドイツから飛んできた!? | Asagei Biz-アサ芸ビズ

成層圏プラットフォーム』だとする説です。通信や放送用の飛行船や飛行機のことですね。推進エネルギー源は太陽電池で、無人で1年以上の継続飛行が可能。アンテナ中継基地ですので、当然、定点滞空技術が搭載されています。実はかつて日本でも開発が進められていたのですが、諸事情で開発が頓挫した経緯があります。

 
ソース元が都市伝説系編集者とあるので、うさん臭く感じる諸氏も居るかもしれないが、この高性能な自立型移動体は十分現実的で、かつて日本が太平洋戦争末期にアメリカ急襲用に開発していた”気球爆弾”の応用の可能性は十分ある。

 

当時でもこの気球は軍事機密で、実際に飛ばされ季節風を利用しアメリカに届いているし、墜落していた気球に偶然接触した家族の被弾も記事が現地新聞に掲載されている。

 

ただ世はすでに終戦を迎え、最新型ジェット戦闘機が主力の時期であり、旧態依然の気球兵器が進化す機会は失せていた。

 

しかし、気球は仕組みは単純でも、地球の高度上空には大規模な東向きの大気の流れが存在しており、日本でも毎年春頃中国から訪れる”黄砂”もその原理の結果である。

 

日本に突然現れた気球の様な物体が、自立・移動機能を有した”半衛星”であっても不思議ではなく、意外に旧態依然の気球とは高コスパで国境や海を超えられる”今でも使える優秀な移動体”である事実はある。

 

この事実で我々が懸念すべきは、気球は移動に時間を有するため、飛ばした国や組織の特定や発進地点の特定がさかのぼって追跡できない点と、この気球においてはその後の追跡結果について見逃されている点である。

 

それぞれの問題は、前者では気球によって運ばれる物体は何でもアリであり、観光利用の客席から軍事利用の核弾頭まで運搬は可能であり、後者では不慮で見失ったのか意図的にそういうことにしたのかの点で、政府が不透明にしている点だ。

 

最悪のシナリオは、おそらく容易に想像つくだろうが、西側又は北の隣国から考えられる脅威であり、その匿名性からみればどこぞの無名組織のレジスタンスも十分可能だと言うことだ。

 

後日談として、戦後間際に飛ばされた気球爆弾のその後については、いくつかアメリカのジャーナリストや政府機関によって、その技術の応用の行方を調査されている。

 

その一つには、戦後アメリカで大きな話題となって、今でも日本でも都市伝説化されるUFOの墜落事件の原型が、気球技術継承によって米軍が進めていた某軍事技術のための人体実験の隠蔽ではなかったか、という民間レポートがある。

 

それはさておき、気球にまつわるエピソードは、ヒンデンブルグ号の悲劇にとどまることなく、今でも技術継承されながら現役のテクノロジーであり、我々に核兵器以上に幅広い脅威と可能性を持った見捨てられない現実だということだ。

 

その脅威や懸念の現況は、AIのシンギュラリティへのそれと全く同じであり、結局どのような優れたテクノロジーも、それを使う人間の本性次第だという、人間の存在証明にまで行きつくのである。

 

さあ最後に考えてみよう、この日本に現れた飛行体とは何なのだろう?

 

近く実現するであろう近未来を見据えた、世界規模の通信インフラ実現のどこかが始めた事象実験だったのだろうか、過去の例に沿う様にUFOが当時のアメリカ政府の横暴を暴くきっかけになった、今まさに隠されようとしている闇に光を当てようと現れたのだろうか。

 

申し訳ない、真実は永遠に闇かもしれないがただハッキリ言えるのは、そのどちらの未来に転ぶかは私たちの今後の行動次第であり、誰もが避けて通れない真実だということなのだ。

 

東京の、日本としての中央機能の死を迎えつつある今

地方に住む筆者にとって、元々から東京都に政府行政機能が集中していることに何のメリットも感じてこなかったからかもしれないが、今まで執拗なまでに国家機能や経済機能を一つの都市に集中させているこだわりが理解できなかった。

 

そう思っている中でここ最近の東京都の動きの体たらくはどうだろうか?どうにも日本の最高峰都市だとは、思えないし単にバタバタ混乱にあえいでいるとしか見えなくなってないだろうか?

 

これからの時代、ITインフラと自動化設備の発達で、地政学的なハンディは無くなっていくといわれ、それが100%文字通りになるとは考えにくいにしても、日本は様々な災害リスクを古くから抱える国であり、国の機能のリスク分散はもっとも優先的にすすけるべき案件な筈だ。

 

それが未だにどころか、まったくその動きを見せることすらないのに加え、先からの中央集権化に固執した割に、成果が上がるどころ地方に引っ張られるように、都市機能を弱体化させているのは何なのだろうか?

 

仕事や将来設計のために東京に移転する人が、未だ圧倒的に後を絶たないが、その地涌運をとやかく言わないにしても、彼らの生計や利便性を地方のそれを犠牲にしてまで補填するいわれはないわけで、地方自治はその現実に気づきつつある。

 

東京都のコロナウイルス被害の現状は、国全体を引き釣り倭下割には、被害を悪化させつつあるし、なにより海外からの転入を一度も全面禁止していない危機意識の甘さは、結局今の感染増大を加速させている。

 

東京都知事選挙は、何が何だかわからないうちに現職再選で終わって、過去の付けを払わされようとしているのかわからないが、心を改めず未だに旧態依然の調子で、東京都民を二次感染の危機に晒そうとしているかのようだ。

 

経済関係者や経済専門家たちは、さすがに優秀な人々が集結しているだけあって、東京都の経済効果を考慮してか、表向きには全機能の東京一極集中を常識のように、他の選択は一切語らない。

 

東京が最大の力を握り続けることが、永遠で最良の手段だと信じて疑わない日本には、今後多くの災難から効率よく避けながら、東京都民に降りかかるリスクに一切目を向けずに人口・雇用問題を解決できるのだろうか?

 

中央行政は、相変わらず地方の問題は軽視しながらより国家機能の中央集中化を推し進め、いざとなれば地方を切り捨てかねない経済政策をとっているようにみえてしまう。

 

この先、東京を制圧すれば、一瞬で日本の全機能が停止すると判っている、致命的なリスクは今すぐに是正すべきだと思うのだが、なんだが地方人の方がバカに見えてしまうような、東京の物言いや行動は、どうもしっくりこないのは筆者だけだろうか。

 

 

木を隠すには森に、リアルスカイネット・宇宙産業

通販大手が展開するAWS(amazon web service)が、宇宙産業に参画すると発表されたが、アマゾンは業界の垣根を超えた超莫大な資産を抱える、モンスター企業なのは周知の事実。

 

資産的に行き着くところまでいった企業が目指すネクスト・ステップが宇宙市場への進出ということらしいが、しかし宇宙には今のところ公的に見て顧客は居ないが、では何を目指しているのかと言うと、米軍需産業市場の巻取りらしい。

 

同企業が、地上の市場の設備投資だけでは消化し切れない資産を、単に内部保留するとは考えにくかったが、こともあろうに軍産複合体に食込もうとしているとは、当に青天の霹靂だ。

 

一代で短期に築き上げた新興企業が、利権バリバリの新規加入などありえないと言われる軍需産業に食込もうとしているとは、これは成り上がりが世界を支配する、スカイネットそのものではないか。

 

この目的を果たすには、通信網の高度な進化が大前提だが、本来通販大手がいきなりここまで極端な異業種参入すれば、少なからず波風が立つ。

 

その隠したい木を隠すにはどうするか?それは木を隠す森を育てる流れに乗ればいいと言うことで、都合の良いことにIT企業大手は通信企業と利害が合致して、5G通信網拡張を既に進めており、それなりの市場の理解も得ている。

 

この状態で、かつてはあり得なかった1民間企業の巨大利権市場参入、いや場合によっては乗っ取りが現実的になったと言える。

 

これからの時代、多くの人が描く近未来社会像の実現には、高速大容量通信網が不可欠という命題がほぼ常識として認知されているが、我々は何の抵抗も無くその空想を受け入れているのも、奇妙な話だが、それはさておき敢えて否定するものは少いだろう。

 

この一見違和感のない大前提が正当化されている社会で、世にも大胆な下剋上が静かに進行していると思うと、そう来るかというヤラレタ感が湧いてくる。

 

軍需産業と言ってもAWSが狙うのは武器産業そのものに関わらず、恐らく最終的に米国防総省の機能全てを取り仕切る程の規模にまで及ぶと想像できるが、当面目先の目標は監視システムとドローン兵器などの領域になるのではないか。

 

アメリカ合衆国は、国であってもそもそも建国目的は企業による、究極の自由主義市場の構築であったところからも、国家資産そのものの多くがスタートアップ企業・資産家のポケットマネーの様なものだっただけに、実力のある企業は下剋上が赦される風土がある。

 

古参・新参者何れも、共通の目的はあらゆる手段を使っても、地球上にありえる市場の絞り取りにあることは間違いなく、寝ていても資産が増える錬金術を得た者には、等しくチャンスを与える。

 

この仕組みこそ自由主義の根底であり、多くの人がこの事実を見ていないが、人の居ない宇宙にまで市場を拡大し、防衛ラインを広げた意味はここにある。

 

宇宙軍設立は決して宇宙人の襲来に備えているわけでは無く、情報通信網に進化によってより緻密に網羅される地上の市場を、より予測可能で管理しやすくを確かなものにするためにの、拘束でありセキュリティ強化でしか無い。

 

この動きの先に見えるものは、果たして何だろう?

 

やはり、スカイネットの支配する暗黒の未来だろうか?それとも閉鎖的でも安心できる究極こ保護社会だろうか?それはまだ判らない。

 

ただ今のところ言えるのは、未来は決まっていないという事実と、AIが予測する未来はそこに生きる全ての人の、思考と行動の結果大きく左右されるという現実だけだ。

 

幸いなことには、今のところ未来はどうにでも変えられる余地は残っているということだ。

 

AWSは一例でしかないが、こうした動きが結果を出し始める頃には、もう社会はほぼ方向性を固めている、だから今未来を些細な生活行動から立て直す行動が大事なのだ。

 

AIは、その一挙手一投足を見て進化する、人間の子どものようなもので、見せる行動によって未来は明るくも暗くもなり得る事を忘れないで欲しい。

 

お店頭様は見ている、AIは神でも天上界のような超越した存在でもないが、無垢な子どものような存在であるのは間違いなく、AIの育成ゲームは既に半ばまで進行しているということだ。

 自由の国が消えた瞬間、誰もが無責任を問われる時代に突入する

2020年7月1日は、全世界の自由世界圏にとって、その中で生きる多くの人達にとって、極めて厳しい転換点となった。

 

ご存知の方は多いと思うが、香港で一国二制度を実質上中国共産党が反故ににした日となるからで、「香港国家安全法」が本国中国で可決成立したことで、中国と世界とのビジネス・金融ハブが一つ消えたのだ。

 

中国と言う巨大市場と他国の金融市場を、自由経済都市の香港がこれまで合法的につないでいた関係が、国家安全法施行で香港内の外資企業・香港に基盤をもっていた資本団体が、リスク回避のために流出し始めている。

 

これまでは、社会主義中国共産党と資本主義圏の世界マネー需要から、香港を通して世界基軸通貨ドルの交換を容易にさせていたが、新法成立で中国側優位の市場に多くの資本団体は、中国市場への参入リスクが大きくなっていると判断している。

 

加えて前年から続く米中間の貿易戦争・中共ウイルス責任問題で、アメリカを中心に中国への経済圧力が高まっていることも、マイナス材料で経済上の中国の疎外感は高まるとし、マーケットは香港を冷徹に捨てるだろう。

 

また、香港は人権の在り方や倫理観においても、自由社会とは決定的な乖離をもった中国共産党の絶対支配圏に置かれることで、経済・民主ともに人間らしい生活が困難な地域になってしまう。

 

 一頃はイギリスのシティのアジア地域における、金融拠点として期待された香港も、中国共産党への読みの甘さとしたたかさに金融ノウハウを奪われ、アメリカにしても技術・特許などの優位性を中国にいい様にだまし取られ、ここまでは中国共産党の戦略勝ちと言える。

 

今後、経済戦争の一定の節目をつくったこの日を起点に、より資本主義経済圏がアメリカを先導に、どこまで明確に仕切り分けしていくことができるかは、中国共産党の体力とも大きくかかわってくる。

 

この采配に重要なポイントは、民主制度という中庸で厄介な緩衝材のような概念が在ることだと、筆者は考えている。

 

中国共産党の狙いが見事に成功してきたバックには、一見平等に見え聞こえのいい子の概念によって、資本・社会主義の明確な経緯と存在理由が、多くの人に曖昧にぼかされてきたことにあるのではないか。

 

特に日本は、戦後敗戦によって当時既に巣くっていた共産思想家らによって、アメリカが病巣化され出していて、そのアメリGHQ政策によって、アメリカへの傀儡化だけでなく、共産主義者による労働者洗脳施策が織り込まれたことにあった。

 

この実験ともいえる策謀は、静かな操作活動によって日本だけでなく、米ソ冷戦で対立していたアメリカにも、それは始まっていたことに多くの人が気づいていなかった。

 

この事実は、近年になって一部研究科によって暴かれているが、それまでは陰謀論で済まされ、面に出されれることさえはばかられていたことは、資本主義経済や社会にとって大きな損失であったかもしれない。

 

それまでは本来自由であるはずの金融・資本は、民主主義の名のもとに市民側に公平に分け与えられるべきものという、刷り込みによって逆に市民に公平に回るはずのマネー流通が曖昧にされ、使途不明金を生み出し、見えない金が闇に消えていく悪循環を実現してしまった。

 

本来の自由経済が成立していれば、カネの流れは法によって透明化され、それによって金融の問題が発生した場合、明確で有能な金融政策によって修復は容易だったはずだ。

 

一部の資本家が隠匿が発生しても、カネの流れを正常化する仕組みによって滞りを早期に発見対処ができたはずだが、どうやら現存する自由経済はこのような社会ではなかったのだろう。

 

マネーによる、経済社会そのものを発明した者が、マネーをどう利用しようが使わされている側には正当性は本来無い、不服ならば物々交換の社会に今から変えろと言うことだから。

 

そんな非現実的な行動は、ほぼ不可能である現在において、唯物史観社会と拝金主義社会を取り繕っていた都市香港の機能停止は、本来どちらの陣営にとっても不幸なのだが、中国共産党は「メンツ」のために潰してしまった。

 

イギリスを含め欧州国が、共産民主制を受け入れつつある中で、半強制的にアメリカ側が、かつて日本を戦争に追い込んだように”意図的”に追い込んだ可能性はある。

 

アメリカは、そもそも建国の動機にある自由経済社会の成立させる、都市国家として建国され、今日まで世界の経済・金融のリーダーシップを自負してきた。

 

そのアメリカにとって、アジアから湧きおころうとする反旗の動きは、リメンバー・パールハーバー同様、二度と起きてはならない悪夢なのだろうが、それに追い込んだのはその他資本経済圏の各国が、足並みをそろえず責任放棄する行動による焦りもあるのかもしれない。

 

いづれにしても、泥沼のレースを世界が少しでも早く抜け出すには、世界各国の意見と態度を明確にさせ、問題を一本化させない事には、一歩も動くことはないだろう。

 

その意味でも、今後多くの不明瞭な言動を都合よく多用していた人は、よくよく考えて行動し、いったん行動したことには全責任を取る覚悟を持ったほうが良い、自分をボカすほどその曖昧さが、自身の首を絞めることになりかねなくなっていくからだ。

 

多くの人が、大きな誤解をして、忘れていることがある。

 

「自由は、待つでも与えられるものでなく、つかみ取るもの」

 

という現実だ。

科学では見い出せない知恵と人の感性

下の文章は筆者の創作小説中で、ネイティブアメリカンの教えとして書いた一節だが、この教えはどの地域の真理にも共通のものであり、人が知恵を有して以来持った、自然から闇の恐怖を学ぶ知恵の比喩でもある。

 

 闇に紛れれば、人は僅かでも光を利用できる。
 神がなまじ光を与えたがために、人は闇を恐れなくてはならなくなった。
 闇と素直にすりよれば、人は強くなれるのに。

 光は闇を生む、光が強ければなお、闇も強くなるのだ。
 人よ! 恐れず余計な光を求めず、闇に慣れ一体となれ。
 自ずと闇は恐れるに足らず、心安らぐ支えとなろう。

「我々の大地の神は、正しい闇の力を教えてくれるのだ」

 

ネイティブアメリカンは、自然から八百万の神を見出した日本人と同様の感性で、壮大な大地に現れる訪れる夜の闇から、自然を畏れ敬い、共存する知恵を学んだと言って良いだろう。

 

日本人は、自然に超人的な世界観を見出す事で、人が知恵におごる愚かさを抑えようとしたが、その表現方法に相違はあれど、彼らと根本の解釈が共通している学びは、全く歴史が異なる地域でも奇妙な共通点を持っていて、それが真理であり社会ルールとして活きていた。

 

このように、人が欲する真理は本来何も無いはずのところから、意味を導き出す人の知恵の発動であるが、我々日本人も例外なくこの知恵を自然と共存することで、たくさんの知恵を学び、真理へ導いていった人々だ。

 

これを表現するために、日本人は今までにカタカナ、ひらがな、そして古代中国から漢字を取り入れ、それらを時には使い分け、時には上手に混ぜていくことで、豊かでより詳細な知恵を我々子孫に残してくれている。

 

ただ、最近の我々の境遇は、他国の様々な思惑に沿って、その知恵を引き継ぐことから遠ざけられ、近い将来には無意味な知識でしか残され無いようにされているのは、とても残念なことだ。

 

近年の日本人にとって、少しでも多くの資産を得るのに意識や時間を費やすことが増えた、これ自体に何の罪も無いし、むしろ大いに勤しむべきことだが、それに目を奪われた事でそれ以上に大切な、継承すべき日本人の資産である知恵を知ったり体験する機会を奪われているのは、余りに虚しい話だ。

 

それでも不思議と無意識に、親から子へと教えが継承されているのは、素晴らしいことだが、少子化でその美しい姿を見る機会も減っているのは、もう親子関係を超えて日本人の持つべき共通意識にしていくしか無いかもしれない。

 

その継承は、強制であってはならず、自然から学んだ以上自然にされるもので、普段の行動から学び取るものだっただけに、それが最近の受難の中で誤解されているのは残念で惜しい話である。

 

多くの不安や恐怖から、どうしても繊細な日本人は、自然にできるはずの行動を、行動そのものに意識を入れすぎて意識より行動に意味を求めすぎる傾向が強い傾向が出ている。

 

こうすべきだ!、〜でなければならない!、日本人なら〜、自分がそう思い込むと日本人なら当然同じ行動をすべきだと言わんばかりの暴挙にでてしまう、これほど悲しい事はない。

 

そこまで思い詰めるのも、日本人の繊細故の結果なのかもしれないが、そんな時にこそ上に残した闇について思い巡らせて欲しいのだ。

 

人は賢い、しかしそれを過信するがゆえに、本末転倒な行動にでてしまうことがあるが、その本意はとても純粋な性善説に由来しているなら、想いは正しい。

 

これは、闇との付き合い方と同じで、何度も向き合って慣れていくしか無いのだ、それを身の回りに起きる多種多様な体験を闇と置き換えれば、すべき事は全く同じで難しく考えなくてもいいこと。

 

日本人は、本当に素晴らしい才能を持っていると感心することが多い、日本人に生まれ日本と言う国に生を立てられたのは、本当に幸運であると心から思える。

 

その根拠は、1000年以上も続いた天皇以外全て平らかな社会の中で、豊かな四季と自然に恵まれた環境から多く残の知恵悟りを自由に好きな時に学べる環境に、偶然生まれて来られたからだ。

 

よく観察して欲しい、これだけの好条件や奇跡によって続く日本の様な国が、世界中何処に在るだろうかということだ。

 

それに気づいた時に、世の中には偶然だけでは理解し難い、何かを見ることだろう。

 

人の感性は、自然を畏れ敬い共存しようとする者と、恐れる余りに自然を破壊征服しようとする者に二分されてしまったが、世界は思ったより狭いと知ってしまうと後者が増えてしまった。

 

ただ、残念ながら未だ科学が自然の知恵を超えられ無い現実は無視できず、人は非科学な事実を認めざるを得ないし、むしろ自然から摂理や法則を見いだせる人の感性を、無能にする科学は無意味でさえある。

 

人は、そもそも自然の一部でしか無く、超自然とは何かを知る意味は無いし、深めるならば今現存する多くの奇跡の中に居ると言う実感や、自分の立ち位置の在り方を模索することが、科学であり自然と共存する知恵こそ万能であり、人が求める神ではないだろうか。