くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

医療市場の諸事情と患者のニーズ

 久しぶりに、がっちりマンデーを見た。

高齢者・単身者の増加や、健康ブームも手伝って、医療はビジネスとしてジャンルを正当化できる時代なのだと感じる。

 

しかし未だに、過度な病院利用が常習化されるシーンが増えてるんだな、とも実感した。

 

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 少しビジネス話からそれる。

もう何年も前になるが、その片鱗を実際に見た経験を思い出した。

 

それは家族を救急搬送する経験することが何度かあったが、救急車に同乗して救急指定病院へ行ったときのことだ。

国立病院だったので、ER専門部署に搬送された後で、幾部屋かに別れたブース状の診察室で家族が診察を受ける間に、待合を指示され、結果待ちをしていた期間が結構小一時間あったが、座ったベンチの真向かいが救急搬入口になっていた。

その入り口は、頻繁に開け締めを繰り返すのを嫌というほど見ることになった。

 

大都市のERだし当然と言えば当然かもしれないが、問題は搬入された後の事でその搬入された患者候補の殆どが、結果論だが大した病気でもないのに”なんちゃって救急患者”とでも言いたくなるような人々が、とても多かったのには衝撃的だった。

 

最近救急搬送者の多さに、救急車の数が追いつかない現実をニュースなどで見聞きしていたので、日本の医療機関の能力不足に危機感を感じていた。

ところがこうした実態を見るに、自分の認識を恥じることになったわけだ。

 


家族が入院が決定し準備のために一時帰宅しながら、そのおぞましい現実に思わず閉口したと同時に、この先医療の進む課題が見えて、ゾッとした事を思い出した。

 

 

医療業が神聖化されるのは、本来の意味とはかけ離れた、業界が安定しつつ公務員と同様保証されるように画策したイメージに過ぎない。

これは、患者側にも課題になることで、メディア情報に振り回され、自己判断力を失い、自分の身体の調子さえ客観的に判断できず、医者や医薬業界に健康リスクを丸投げしている現実にあるのではないか。

 

家族の死を目の当たりにすれば話は別にしても、ちょっと太っただの、ストレスで調子悪いだの、ちょっとした切り傷や火傷にうろたえ、風邪の原因さえ自己判断するのを敬遠し、何をおいても119番コールする風潮。

言い過ぎを承知で言えばまるでタダなら利用しないのは損とばかりに、医療もコスパ偏重派が幅を利かしている現状は、きっと今でもERの現場で繰り返しているだろうと、容易に想像できるのだ。

 

人は確実に減る現実の中で、本当に正当な医療を必要とする人が居て、その立場なら深刻な状況を目の当たりにしている家族や当人には、この馬鹿げた主流派の横行は、当に洒落にならないのだ。

 

使うべき時に使う。

 

その要の自己判断力は、本来持っているもので、たとえ専門知識がなくとも、自分の身体の状態は、自分が最も知っている事のはずなのに。

 

それさえ自信を無くしたのか、自己にかかるリスクを第三者に転嫁しすぎて、自己判断しない者が増えたがために、この当たり前の判断ができていない。

この点で当たり前の判断力が低下しているのは、

 

本来日本人の誇るべき「潔さ」が失われているのかもしれない。

 

公共サービスが無料だからと言え、とりあえず呼んどけという安易な現実回避策を選ぶ前に、危機意識に苛まれる中でも、一度自分の耐性に向かい合って、許容できるリスクが本当に無いか、それでも医者にリスク転嫁すべきかを考える時間は十分にあるだろうと思う。

 

それは邪推だ!

 

と思われる方も居るかもしれないが、少なくともこの可能性は無いだろうか?

 

 「命に関わる医療は何を差し置いても、判断の正確さより緊急性が優先されるべき」

 

と、

確かにそうだ、誤ってはいないし、その結論は患者がするものでなく医者が下すべきというロジックを否定していない。

ただ、医療待機者が増える傾向がある今、この優位性を暗黙に過信したり自己都合で利用していてないかと心配になる。

 

本来の患者の立場に立たされたとき、そのしわ寄せを受けている現実を目の当たりにするのだ。

その時思うかも知れない、

 

「お客様(患者)は神様というロジックは乱暴で、自分の首を締めかねない」

 

自分で判断できればそれに越したことは無いのに、私達は上の暗黙の保証があるがゆえ、もしくは思考停止したまま、専門家神話に甘んじ過ぎていないだろうか? 

それだけは理解していただければ幸いだ。

 

 

さて、ビジネスの話に戻る。

救急車不足を生んだ原因が、医療機関ではなく、私達患者側が生み出したという事実を見た。

 

がっちりマンデーで紹介された夜間診療病院ビジネスは、こうした救急医療の実態を知り尽くす者にとっては、ブルーオーシャン市場という点で理に叶う。

しかも、やってくる患者は軽微な病気が多く、しかも救急搬入される患者も予め致命度の低い者だけという、低リスク。

 

言っちゃあなんだが、医療をビジネスに変えるなら、命の保証は可能な限り避けるのは鉄則中の鉄則。

夜間というナマケモノ医者としては避けたいこの選択をして、患者からは感謝されるのだから、人と違う時間帯に抵抗がなければ当にチャンス。

 

火中の栗を拾いたがらないなまくら医者のスキをついた、救急医療事情を知り尽くした医者ならではの独占場だけに、苦労してきたER経験者には朗報だろう。

患者側も、救急現場という修羅場をくぐった猛者が、しかも夜間に診察してくれるのだから、これ以上の安心は無い。

 

医療を儲け話にするのは、倫理的・心情的にバッシングを受けやすいが、業界と患者双方から喜ばれるビジネスだ。

医者は頭のいい人が就いていると思っていたが、弁護士や会計士、企業診断系の業界が飽和状態だけに、安定しきった業界に浸りきったり、保身に走りすぎれば、その結末は悲惨だ。

 

 

最後に、医療ビジネスでは夜間診療はまだ隙間産業だけに、これからの医者を目指す若者も、ERで武者修行して究極の医療現場を経験しても、十分に後で元が取れそうに受け取った。