IT端末のキモ、OSの「べき論」を語ってみる。
くろまが、パソコンを使い始めて以来、ずーっと夢見ていた事は、
「プラットフォームを選ばない自由なOS」
だったんだけれど、この思いは古くからコンピュータの可能性について、多くの夢を描いていた人にとっては、共通の思いだったろうとおもう。
もう30年以上経った未だ、その夢は実現したという話題を聞いたことが無いけれども、それに近いOSがLINUXだった。
このOS、ザックリ言えば著作権以外は改善自由のとっても可能性の高いOSだけれど、ただ初心者には敷居の高いOSで一般普及までに至っていないことからも、OSの存続が、どれほど過酷でお金のかかるものかを、私たちに教えてくれた。
今のところ、くろまの理想に近いOSはAndroidで、このOSは無償でもないし制限も多いので賛否両論はあろうけれど、現実的な妥協をあえて加えた上での選択肢としては、くろま的に理想的なOSだと思ってる。
今年10周年を迎えるAndroidが「フラグメンテーション(断片化)」の撲滅に追い打ちをかける(石川温) - Engadget 日本版
資本企業が開発しているので、利潤追求や囲い込みは避けられないけれど、もっと陰湿なOSは論を待たないし、そんなことで時間を浪費したくない。
ただこのOS開発は、ユーザーにとっては最もコンセプトに透明感があって、楽しそうだということと、グローバルな目で見てオープンな市場を作ろうとしている、という目線では、妥当な姿勢を持っていると感じられる。
上の記事でも書かれているけれど私たちユーザーに対して、アップデートへの期待とベンダーとの開発姿勢を、オープンにし効率化しようと努力するOSである事は、誠実さを感じるし、LINUXが目指したユーザー目線を考える姿勢に近いのかな、と思った次第。