くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

スピルバーグ、おお! スピルバーグ。

スピルバーグ監督も白ひげ生やした、いいオッさんになられたんですねぇ、くろまも歳とるわけだ……と黄昏ていても始まらなにので、今回は好きな映画関連の話を書きます。

 

記事にも評されているように、スピルバーグ監督は「SF超大作」ではジョージルーカス監督と並んで、ハリウッド映画の黄金時代を築いた名監督のお一人ですが、名を知らしめたのは「激突」という当時の社会問題の恐怖感を巧みに演出した映画が注目され時の人となったのは有名な話。

 

gendai.ismedia.jp

スピルバーグはなぜ「SF超大作」と「社会派映画」を往還するのか(中川 右介) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

当時、アメリカの刑事物TVシリーズにハマっていたくろまは、彼の作品をこの映画から知って、その後誰もが知る「未知との遭遇」なるSF映画にハマっていくという経緯で彼の虜になったのだけれど、SF・社会いずれのジャンルにしろ、彼の作品のクオリティや状況設定の作り込みへの半端なさは、そのまま作品へフィードバックされている点で共通している。

 

あえて触れれば、彼がユダヤ人だったことでSF作品にしろ社会作品にしろ、そのリアルで膨大な情報量の裏には、某巨大資本の恩恵や意図が多分にあったなどと、陰謀論者的にはうがった見方もできるほど、その再現性はリアルを超えているとも言える。

しかし、冷静に彼の作品の作り込みの情熱は、もっとシンプルであり子どものような無垢な目線と事実への飽くなき好奇心の賜物と、帰結していいと思うんだ。

 

あれだけ売れまくって知名度が上がる人材だ、商売っ気が絡まないハズがないし、事実彼は良質な映画制作に不可欠な予算調達には、並外れた才能を持っていたのも疑いない。

その点では商いを生業としてきた歴史を持つユダヤ人の血を、遺憾無く発揮したと言えるし、優れた映画監督であり追随を許さない銘プロデューサーであり得た、ということなんでしょ。

 

かつて同じ土俵で評価されていた、ジョージルーカス監督が虎の子であった「スターウォーズ」をディズニーに売却して、映画界としては世捨て人の道を選んだのに対して、スティーブンスピルバーグ監督は、今でも映画監督でありプロデューサーとしてハリウッド映画の未来を牽引している。

映画へのこだわり方の相違はあるにせよ、新作「レディプレイヤー1」で新たな境地に入り、映画をとおしてリアルな未来を創造しようとする、スピルバーグ監督のこだわりを支えるのは、なんと言っても子どもが持っている「あくなき好奇心」と「無垢な目線」。

 

この目線で言えば、くろまがホレたスピルバーグ映画の思いは、これに尽きるとしみじみ思う。