くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

日本の国内メディア情報だけではビジネスチャンスは無い

日本の国内メディア、特にTVなどのオールドメディアや印刷メディアの多くが、ありきたりの情報しか流さなくなったことに、多くの人が気づきだしている。

 

ただ、視聴者側もそれに気づきながらも、メディア叩きや批判はするものの、それに代わる情報源をそれぞれが入手していなければ、その違和感に気づいた意味が無い。

 

単にメディア情報やニュースが、普段の生活の便利情報だったり、災害や健康に関する情報収集だけであれば、オールドメディアでも十分事足りるが、ビジネス思考で収集する場合は、まったく意味を成さないことが多い。

 

この情報ニーズの違いは結構大きいもので、世界で見ても経済安定していて、平和で紛争も無い日本に生活する限りでは、中身の濃いファッション情報や、IT家電レビューなどでは、極めて高度な判断材料が手に入る。

 

ところが、いざ自身の収益を上げていくスタンスに立った者にとって、その材料がどれほどあるかと見回せば、当たり障りのない情報しか見当たらないし、特に高度な屁理屈をこねるジャーナリストや経済アナリストが充実してるだけ、厄介である。

 

例えば、もっとも注目されるITインフラ環境について、海外でどのような動きがあるのかというニュースどころか、日本国内の情勢さえ報道するメディアはテレ東位のもので、NHKに至っては教育番組意外、一部ドキュメンタリー番組意外では消極的な情報しか流さない。

 

NHKを中心に民法でも、多くの支持する視聴者層が団塊世代以前の高齢者層であると言われているので、仕方が無いと言えばそうなのだが、ではネットや動画配信でどうなのかと言われれば、日本語で放送される情報は相当限定的と言わざるを得ない。

 

日本語(きちんとした語訳メディアも含め)限定情報で言えば、現実的に日本人は少数であるため仕方ないが、実情は最低限英語を理解していることが前提となるし、裏を返せば英語を習得している者ほど情報収集力や意識も高い。

 

日本人に限って言えば、こうした考察スキルの低さが義務教育レベルや質にあったり、経済事情など教育環境の悪さを指摘する者も多いが、それが事実であったとしても、批判しているだけでは何も改善しないことを自覚しているのだろうか。

 

たしかに富裕層の環境であれば様々なチャンスが巡りやすいが、日本人はそもそも長い低成長時代が続いた反動で、貧民思考が定着し出していないだろうか。

 

そもそも学習や情報収集というものは、自ら率先して苦学したり、下げたくない頭を下げながら行動して情報を得る者なのに、こうした謙譲型の学習姿勢を忘れてしまっているのかもしれない。

 

より良い情報に辿り着くには、まず比類なき好奇心による行動力が大前提であり、さらには人から与えられるものでなく、その行動で取りに行くものだったはずで、その自覚がボケだしているのかもしれない。

 

ネットと言う、行動監視も含めて味方によっては極めて詳細で、広大な情報を手軽に得られる境遇にありながら、情報量無料の範疇に限っても十分な情報を得る行動を、どれだけ出来ているか。

 

得られないにしても、どれだけ身の回りの変化からそのさらに外周の状況を考察し、推測して行動につなげられるか、こうしたスキルは教えられて身に付くものではなく、行動した結果得られる自分だけの財産であるはずだ。

 

アフリカや東南アジア南米などのかつて発展途上国と言われた諸国が、今どのような状況であるかなど、ざっくりとでも正確に把握しているだろうか?

 

日本人の多くが未だ、恵まれない子に募金をというキャンペーンに涙したり逆に頑なになったり、教育環境は相変わらず至らないにしても、彼らなりにビジネスチャンスを求めて中国やIT企業と関係を盛ったり。

 

それが成功につながるのか否かは別としても、それぞれの境遇を受け止めながら行動することを恐れない彼らの方が、今後様々な問題を解決しやすい環境に居るように見えるのだ。

 

日本はそこそこ裕福で犯罪率もまだまだ低く、自分から学びにいくチャンスは24時間ある国なのに、その身近にある宝を持ち腐れする思考も一緒に進化させてしまったのかもしれない。

 

子供の内は昔も今も好奇心旺盛で、だれでも気が向いたことからすぐ行動するので問題ないが、大人になると若い時分に行動出来てないと、年齢を重ねれば重ねる程自分を泥沼の底に追い込むような選択をしてしまう。

 

そうした超が付くほどの停止思考や無行動によって、今のオールドメディアは無価値な情報だけ流しても飯が食える集団に変わってしまったし、それさえ気づかない大人は言うに及ばない。

 

折角その大きな矛盾に気づいたのであれば、自分で風穴を開ける行動をトライアンドエラーしてみるべきで、その失敗が大きな気づきと可能性を見つけるきっかけになることを、少しでも多く体験すべきだろう。