リスクを避け依存する心は、悪魔のせいなのか?
今どきのメディアで引っ張りだこのジャーナリスト池上彰氏が、いろいろ叩かれているらしい。
わかりやすく客観的な論調が、視聴者にもうけて番組視聴率も安定しているようなので、安易な番組制作にはうってつけなのだろう。
個人的に池上氏の論調は好きだが、ここまで叩かれるのは知名度や信用度の高さの証だと思っている。
それ故、池氏に限らずジャーナリストというのは、人気商売の視点で見ればフリーアナウンサーや芸能人と同様に、リスクの高い仕事だと実感する。
今どき様々な情報源を、プロでさえ正確に扱うのが非常に困難な時代にあって、言葉尻で確定をぼかしながらも、信頼性を得なければ注目されない人気度が生命線の商売と成り下がったジャーナリスト。
その情報源の信憑性がどれほどにものかは、そもそも疑わしいので適度に参考にする程度にすべきなのに、実際は受け側のスタンスは一方的に依存性がより高まっているように見える。
それは情報が乱立すればその選別に手間と責任が一様にのしかかってくるからであり、批判を繰り返すだけの論調派達は、専門家だからと勝手に審議の判断責任を彼らに丸投げしている事実を隠している。
所詮、一個の人間が発信する情報など丸々信用するものではなく、判断材料のひとつに過ぎないのに、どうして一方的に一人を責めるのか?
この責任逃れの構図は「いじめ」のそれにとても良く似ているのは、偶然ではなく筆者含めてそれぞれの心の中に巣食う、不安と疑心暗鬼がその宿主にプレッシャーをかけ悪魔の声を囁くからと例えられる。
私は、いつもこういう状況になったとき思い出す。
いつも自分の左右には悪魔と妖精が居て、事あるごとにお互いが囁くあの良くあるシーンである。
人が本来持っている善悪の心は、旧約聖書ではイブがヘビにそそのかされた時から持っている本性である。(実際いつから誰によってそうなったかはどうでもいいことなので省く)
よって、私達はそれから目をそむけたりごまかしてはならないのだ。
人間だもの、間違った情報発信をするのは当たり前で、その誤りが赦せなくなっている自分こそ、連鎖的に物事をややこしくする元凶になりかねない。
妖精は必ず正しい事を囁くとは限らないし、悪魔も間違った事を必ず押し付けない。
その判断責任とリスクを、ヒトに押し付けるのだ。
その判断を他人に押し付けるのは、もはやその個人の存在意義を揺るがすものであり、結果によっては自殺行為だと肝に銘じるべきだ。
それを自覚無しでしているなら、その人はもうオワコンだ。
そして、それをわざと仕掛ける者がいるとしたら、その者こそ責任を追うに値する犯罪者に等しい。