くろまのパーソナル・ワークショップ

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”アキラ”の描いた近未来が当たっちゃった!今そこにある危機の病?

いま、都市伝説ファンの間で、今起きている東京をはじめとする日本の現況を、大友克洋氏の代表作「アキラ」の展開と重ね合わせるちょっとしたブームが起きているが、著作者ご本人も、戸惑っていらっしゃるだろう。

 

ちょっとした創作活動をした人なら、容易に理解できたり、もしかしたら実体験をされた人も居るかもしれないが、往々にして起きる現実であるし、大友氏のような有名人だったりすれば、話題になるだけのこと。

 

このようなケースは、筆者の好きなその他の漫画家では、浦沢直樹氏の「BAT」にも同じことが起きていると言っていいし、これも偶然だと思っているが、少し想像力を延長すれば、偶然とは思えなくなってしまうのだ。

 

コウモリが象徴として人を導いたり、人類絶滅へのシナリオなど、被るところは多いのだが、こちらがなぜか話題にならないのは、この後もっとハマるようなアトラクションでも控えているからだろうか???

 

 

それはさておき、こうした近似性を満たしたのが、たかだか日本のマンガだったから、この程度ですんだかもしれないが、これが世界的にもっと知名度のある人物がインフルエンスしていたら、もう神レベルの天啓と扱われかねないのだから処置なしだ。

 

しかし、冨野由悠季監督の意見は、そういう創作から見出すべき持論を明確に解説しているものの、多くの創作物は意図的な伏線を多く張るという、ファンタジーの性格からも仕方のないことで、なかなか真意や根拠が原作者自ら語られることは稀である。

 

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富野由悠季が語り尽くす、21世紀の日本人が克服すべき「呪縛」(富野由悠季,部谷 直亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

ただ、この伏線は過去の出来事や創作物からのコピーであり、その組み合わせが違うだけであって、組み合わせ方で創作者の力量をアピールしているにすぎないが、厄介なのはその流れに真実の匂いを現わしてしまうことだ。

しかし、これはあくまでインフルエンサーが”文系”の意識で捉えた場合であって、根拠が創作のファンタジーは、”理系”の意識で見れば、事実を根拠としていない創作は目にも留められないのが普通である。

 

その創造性は日本人に健著で、自然現象や物にまで神を想像してしまう繊細な感性を持っている分、自然現象に意味を見出し、偶然を必然と解釈したり、そこに神や悪魔などの偶像を創り出してしまうらしい。

 

大友氏や浦沢氏は……故手塚治虫氏さえも、そういう繊細な観察眼で創造の翼を広げて、目の前にすでにある未来の種をマンガとして表現できるのは称賛されることではあるが、たとえ特別な才能ではあっても、現実は決して予言者や超能力者として観るようなものではないはずだ。