陰謀論の成長エネルギーの高さと怖さ
陰謀論の根っこが、不満と愚痴であろうことを自覚できなくなることは、とても厄介な話だと思う。
くろまも一時期、異常な程ハマった時期があるので、その功罪は実感できる。
今でもその経験から「やりすぎ都市伝説」などを見てしまうのだが、いったん陰謀論の独特のロジックに陥ると、依存性があって抜けられないためで、急にフラットな思考には戻れない怖さがある。
「この国に陰謀論が蔓延する理由」歴史学者・呉座勇一に訊く(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
陰謀論者とまではいかなくとも、「都市伝説」あたりから興味を増していき、大人になって経済力や社会的な影響力を持ってくると、多感な時期に影響を受けた陰謀話が、頭をもたげてくる。
個人的なヨタ話として受け止められやすい陰謀論ではあるが、少なくとも言える陰謀の本質とは、
「事実とは異なることを、事実のように思わせること」
につきるのではないか。
その点でくろまの語る陰謀論が、どこまで事実を表現できているかに首をかしげられても仕方ないのだろうが、「事実」であれば自ずとだれでも直観的に共感される何かがあるので、誤りを恐れず公開されるのが望ましいと考える。
事実とわかっていても利害がからむと、ことさら面に出にくいだけに、気づいた時点で「なんか変だな……」という意識を公開したほうが、結果ウソっぽくないように思う。