「薬物依存」のまん延
ドラマ「相棒」に登場したキャラの話題は、くろまが後で知ったことですが、ここまで話題にされたのは、メディアに頻出するようになった犯罪者の裁判で、薬物依存者が無罪判決を受ける理不尽なケースに「逃げ得感」を感じ、納得がいかない人々が多いからかもしれない。
「シャブ山シャブ子」を信じてはいけない | プレジデントオンライン
薬物依存が注目され出したのには、先月だったか? 死刑執行された麻原彰晃が逮捕時に薬物依存っぽい精神障害の偽装疑惑など、凶悪犯が薬物依存で罪を逃れたり、カナダで大麻合法が可決したりでより身近な問題として認識されていて、今回の記事のようなフィクションで犯罪者のプロフィールに採用されると、その扱い方によっては乖離や誤認、逆に興味を示す者が増えて、マイナス効果になったということらしい。
麻薬も含めて、薬物依存になるには自主的になる場合と、他の処方や強制的になる場合がありえるけれど、興味か何かで依存者になるのは論外としても、避けられない場合が存在するが、犯罪・異常者扱いされるには偲びない場合もあるわけで、その場合当事者は被害者と言えるし、保護が必要。
薬物依存者ひとりひとりの被害者か加害者かの区別や証明は、専門的な知識がないと誤認や風評被害の火種を生む。
ここまでは理屈として理解できるとしても、実際一般当事者や第三者が薬物依存に対して、どこまで正しい理解を普及できるかと考えると、課題は多い。
思うに、一番厄介なのは、一般に販売される薬や健康食品など、人工合成された成分があらゆる物に含有されていて、安全性を担保する含有量を守ると言う前提で、人体の影響を与える物質(薬)が合法的に使用されている社会で、その含有量の規定数値基準はごく一部の専門家しか調べられない現実がある。
医者が処方する正規の治療薬でも、もう何十年も前から過度に大量の薬を医療保険適用だからと言って、処方されてきたのも普通ではないのに、誰も問題視しない。
すでに今は、好む好まざるに関係なく、何らかの「薬物」を摂取しなくては生きられない社会であり、本来微量なら安全だと言う根拠だけで強制的に体内に取り込んでいる現実は、薬物摂取と言う本来注意しなければならない意識を、徐々に弱められている。
私達は、慣らされ判断力を持てていない中で、ドラマやニュース・商用誌からの情報だけで薬物の安全性だけでなく、危険度も同時に自己判別することになるが、得た情報の正誤や正当性の判断まで自己責任を負わされている。
薬の使用法を誤って事故の加害者になったり、過度に習慣性を持てばそれは依存症と判断されるが、それが基で犯罪者とされた場合に、そのツケはそのほとんどが提供側でなく使用者側の無知が原因とされる、自由意志を尊重する社会。
少なからず薬物利用においては、利用者に歩が悪い中で、人々は疑心暗鬼になり、メディアの過度な演出に反応し、極端な拒否反応や口撃を加えて気分を紛らわせる。
依存者は社会復帰のチャンスさえ与えられず、その中には犯罪に走ったり自殺者が出ることさえある。
こうした悪循環には、決してマニュアル対応は効果が無い、臨機応変に判断行動が求められるが、実際は誤認情報ほど拡散され、真実は行き場を失っていく。
薬とは、本来人にとってメリットが大きいもののはずだが、ここに来てデメリットが大きくなっているように見えるのは私だけではないだろう。