環境問題解釈ひとつで変わる、自動車業界の軸
日産がトップ損切りを断行しウミ出ししている間に、トヨタは着々とグローバル経済戦争に耐え抜くための社内改革をすすめている。
そもそも日産がこうしたリスクを取らなければならなかったのは、遡れば社内労組があまりに強力で肥大化したムダをカットできずにいた期間が長すぎたことから始まっていて、奇しくも同等のドンブリ体質を持っていた三菱と一体化する運命をたどったし、更に国営のずさん経営が状態化していたルノーに飼い殺しにされたのは、類は類を呼ぶ、と言う皮肉な偶然を伴っていた。
今後の自動車業界は、VWやトヨタ、現代などの引き締め体質の確立した企業が牽引していくだろう。
未来志向の生活環境のグローバル化とIT化の標準装備の流れの中で、今検案中の米中間の闘争における自動車の持つ意味が大きく変わる今、不振続く米英が日産案件をきっかけに、日本企業にも影響を強めようとしている。
また、電気自動車大手の日産のゴタゴタや売上に影の見えるテスラの今後によっては、電気自動車主体だった業界の流れそのものに水を挿す可能性もある。
今後自動運転技術の標準化の主権争いと、エネルギー課題の行く末を占う自動車のオール電化の動きは、大気汚染問題の取り扱いの結果次第で、今後も簡単に方向を変えてくるリスクをはらんでいる。
これは大胆な仮設
まずはフランスが日産傀儡化に失敗すると、EU主導の電気自動車路線そのものを否定するかもしれないし、数年内に燃料電池の発電効率が劇的に改善されなければ、また化石燃料の注目度がぶり返すかもしれない。
レシプロエンジンの劇的な改善は今でも進んでいて、こちらの方が現実的と判断され得る現状もある。
当面の主軸は電気かガソリンか?
化石燃料の相場によっては、簡単に方向性は変えられるので、どちらに転んでも即応出来る体制をメーカーはしばらくは強いられるだろう。
その鍵を握るのは石油産油国の生産調整力と、独自の大型市場を武器に米英より影響力を高めんとする中国、その対抗馬となるインド市場の成長によっては、大手投資筋の食指次第でどうにでもなるだけに、目先の変化に振り回される企業は、無駄な投資で疲弊を招きかねない。
自動車業界ひとつをとりあげて、経済の仕組みを見た上で、経済の実態を俯瞰すると、経済を活性化に利用されてきた「戦争」は、
武器による戦争はもはやトレンドではなくなったものの形を変えて、
今も世界中が戦闘が繰り返している事実が見えてくる。
武器弾薬による死はあり得ないとしても、
マネーによる死は存在し、
人への実体化の加速で、いよいよ私たちの選択肢を無くし、
マネーの仮想化は、その実体化を見えにくくさせる。
目に見えないマネーは、実弾のように私達の未来を狙っている