くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

「わが城を持つ」ささやかな夢のその傾向と対策

家持ちの人と借家暮らしの人では、その価値観のギャップは大きく絶対的結論のでない永遠の夢、それについて書く前に、あらかじめテーマに対する立場を明らかにしておく。

筆者は昔から家持ちは「リスク」にしかならないと考える派だったし、今もそれは変わらないが、その立場から再度「一国一城の主人」となる日本人の夢について、考えてみたい。

 

まず、一度でも長期的な住居に関するコスト計算をした人なら一目瞭然で、結果は管理コストや手間の不透明さを考慮すると、トントンどころかリスクの方が大きいと誰もがたどり着くはず。(そう結論しなかった人はこれ以上読むと不快かもしれない)

その上であくまで家持ち派は、それでも一城一国の主人としての夢を実現したい人で在あり、借家暮らし派はその結果に従い浮いたコストを他に分配しているだけだと解釈している。

 

さて、そのどちら派が「勝ち組」なのかは、筆者は未だ結論に至れないでいるし、これからも出ないだろうと諦めている。

そもそも勝ち組にこだわらなくてもそれが人として「当たり前」と考える人は、これからの話はわかりにくいかもしれないが、筆者は当たり前という無難な着地点に落ち着くつもりはなく、下のような「策略的・意図的」な広告があとを立たないのが気に入らないので、それでも書き進む。

 

president.jp

家を売るなら“2022年がリミット”な理由 | プレジデントオンライン

 

筆者も「家=資産」と考えるのは同じで、正の資産として価値を認められれば家持派にいつでも寝返るだろうが、そう思えない節があまりに多いと感じているし、そうするには不利な点も多いと解釈している。

家持派のコスト管理のキモは、今までならまだ資産として転売によるメリットが高いと見ていると思うが、筆者は前からそのメリット自体仮想的であり、実態のなかったもので「そう信じて違わない」人が一定数存在し続けられた時代があったから、そうなっただけではないのか。

 

この仮想的なメリットは、今更言うまでもなく有力投資家の資産計画によって、良いように操作され利幅を肥やす手段にされてきた事実を、負け組の筆者は無視できなかいと考えた。 

 負け組が勝ち組になってから家持ちになるのは構わないが、殆どの人が負け組を自覚しない(対策を十分に取れない)まま持ち家を持つことが、有力投資家にとってその人々が鴨ネギの「カモ」になっている姿を無視できなかった。

 

日本では特に「一国一城の主人」になることが、勝ち組の象徴のように思われてきた経緯を見ると、上に言う真の勝ち組の犠牲者が多いのは仕方がないのかもしれないし、そもそもその状況や立場を「犠牲者」だと思わないだけなのかもしれない。

そう言われれば身も蓋もなく「見解の相違」なのだろう。

 

そう言う方々にはこれ以上申し上げることはないが、筆者のようにそのロジックに何らかの不条理を感じるならば、それも在りと言う事ではないだろうか。

 

負け組を自覚し、それをバネに勝てないまでも負けない姿勢を崩さない。

 

このスタンスに至って、今の自分が在る。

遅すぎと言うことはない、だからこそ行動で示さなければならない。

 

そう思える人が増えることを願わずにはいられない。