ロマンと驚異が同居する宇宙開発のナウ
宇宙のオアシスと自称する「地球」に住まう私たちにとって、宇宙の可能性は文字通り無限大と言われるものの、最近の現実はそれほど柔軟に満ちてはいない様子。
昨年末に国内で「月旅行」や、JAXAのロケットビジネスの安定化の話題は、かつてのSF映画にもあった明るい宇宙時代のロマンを予感させた一方で、きな臭い国同士の利権争いもスケールを増し、宇宙戦争の脅威もリアリティをあらわにしている。
CNN.co.jp : 宇宙でも中ロの脅威、レーザーで米衛星攻撃か 国防総省が警告
資本主義と社会・共産主義という2大経済体制同士の攻防は、拓けた未来と残酷な未来その両方を地上のみならず宇宙にまで持ち込む勢いが、萎えていないことが残念ながら現実となりそうだ。
もうこの時点で私たちが描いた「空想宇宙」は、SFでもファンタジーでもなくリアルな宇宙時代への始まりを見てしまったわけだが、本来米ソ間闘争から始まった人類の課題は、先ごろ中国も加えて地上だけで完結できずに、宇宙へ持ち出すことになったわけだが、いま考えるとこの解決への道はそもそも初めからなかったかもしれないのだ。
両体制の争いの構図自体終止符を打つより、継続した方が経済効果が高いという結論は、端から決まっていたのではないか?
人々に平和を煽りながら、ちょこちょこと戦争・紛争によって「平和の商品化」と「安定の価値」を高めていくことに成功したことで、地上だけでなく宇宙へもそのノウハウは持ち込まれようとしているということに他ならない。
たとえこの仮説が事実であっても創作であっても、私たちにはどうにもできないのかもしれないが、もし社会自体がゲームの「ボード」で、私たちがその「コマ」であると言う認識はあっても邪魔にならないだろう。
むしろ、そのボードの上で最高のパフォーマンスを演じれるように、せいぜい頑張るしかないのかもしれない。
世界経済のなかでの「成功者」「勝ち組」を目指す者にとっては、その憶測は確信と認識されている公算が高いからだ。
その一方で、あえて無理せず自然体で「負け組」に甘んじる選択肢を、多くの人が演じているのが実は「現実」なのかもしれない。