くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

何でも利益につなげる人の欲、経済が回るための世の常

世界では奇跡的な好例を実践し続けている台湾がWHOと中国共産党の批判を受けたり、関西の維新の会は府民よりの努力を見せる一方で、政府は責任拒否しつつも要求だけは出す行動を改めていない、それでも彼らは負けない。

 

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医療従事者への応援ソングになぜか「中国ありがとう」、批判を浴びたジョリン・ツァイも苦悩か (2020年4月7日) - エキサイトニュース

 

その中で、与党の公明党が突然の正攻法に出で自民もこれを受け入れる態度を示すが、これも既に政府にとって想定された新展開の演出なのだろうか、純粋に国民への配慮なのか、その答えはもう少し待たねばならない。

 

その行動を疑うとすれば、やりましたという既成事実だけの行動か、注目が集まる維新の党への影響力への対策なのかもしれないが、多くの国民は素直に信じてはいないかもしれない。

 

語弊があるかもしれないが、そもそもウイルスには人と同様生き延びるべく拡散するだけで他意はなくても、人は二種類の者たちが居る。

ウイルスと闘う者と彼らを利用する者の二者で、後者を許せない者がいるかもしれないが、今在る金融資本経済社会では利益を追求する者が何でも利用することは、認められてしまう。

 

なぜかと言うと、ウイルスが自己増殖に手段を択ばないのと同様に、ビジネスの自由も暗黙の了承だからで、加えて経済が彼らの生産性向上によって回わされているからでもある。

 

また、我々も日々の生活の中でそのどちらの立場にも立たされるし、どちらも拒むことはできないのが現実であり、筆者もきれいごとだけを言うつもりはさらさら無く、金欲は程度の差こそあれ認られ、複利を利用できればそれは幸いだと考える。

 

その行動によって得られたものを、何に使うかで人の評価が分かれるかもしれないが、その評価が必ずしも正当でなくても、淡々とやり通せた者もこの世の正義だと考えるし、それこそこの世界の合理性だと理解している。

 

 

さて、台湾の行動に学ぶべきは、正しいことを思慮深く行動することだし、大阪府・市の行政に学ぶべきも同じで行動への覚悟であるし、その正攻法に意見する者たちに対してどう立ち居振舞うか、個人のアウトプットに生かすべきとも考える。

 

思いを認め行動して高め合うことの方が何倍も素晴らしいことで、ひとりでできないことを連携で踏ん張って退かない姿勢こそ、日本の行動美学だと考える生き方は正しい、ただ利益を優先する者たちの飽くなき貪欲さに、ただ批判するだけでなく等しくを学び行動した方が、生産性は高く健全ではないか。

 

最終的にどこに落ち着くかは人それぞれかもしれないが、選択できる可能性は等しく利用すべきでも、そのどちらも行動せず敷かれたレールを踏み外さない事に費やす、それだけの人生は歩みたくない、世の中は勧善懲悪・二元性で語れる程単純でない以上、どちらの損も得も視野に入れておくべきだ。