年末に向けての経済短観
毎年秋冬と、来年につながるこの時期は例年景気は上向き方向へ動くと聞いているが、今年はいろいろミスリードもあったりで、非常に先読みしずらいエピソードが後を絶たない。
この手の要因として最も目立つのが米大統領トランプ氏の奇行にあると叩く記事を多く見受けるが筆者の見方は少し違っていて、その奇行???を盾に大幅な経済構造の変更をすすめる大きな動きが働いているように見えるのだ。
トランンプ氏の政策は、その最もわかりやすい演出に過ぎないという発想だ。
かつてない彼の、保守的な経済連携を根底から変えると見られるこの動きに、ピンポイント的な見方をしていたら、おいていかれることは必至で大胆な構造変革を見落としかねないだろう。
来年に向けて着々と進むこの動きは、アナログ経済からデジタル経済ベース化への大幅な更新を図るもので、表面上は見えにくいソフトウエアの大幅刷新であり、いよいよアナログ経済との決定的な離別を示している。
それは、日本で言えば平成から次の年号へ変わるのとちょうど符合する時期にあたるが、これは偶然の一致とは思えないタイミングにも見える。
それが具体的にどのような結果を示すものか? 我々には想像の域を超えないが、人にとってより生きにくいものになりそうな予感がしてならない。
よりデジタル的発想が要求されるのではないか?
AIとの協業は最低限避けられず、仕事において大きな意味で人あまりが起こる。
一見、今更誰でも知っていることと一笑にふすようでは、この先ついていけなくなるほどの変革が今起こっているのであり、
結果が描く近未来像がより具体的イメージ出来る人は意外に少ないのではないか。
キチンとイメージ出来る人はより緊張感を持ちつつより前向きに行動するのだろう。
これは自分も含め例外ではない。
この大変革は、今のところ私達にはなんとなくと言った、ぼんやりしたイメージにしか捉えることはできないほど、虚ろな変化にしか表現できないが、遅くても数年後にそのアウトラインがはっきりして来る頃には、あまりのギャップ萌えに人生観を大きく変えざるを得ない人々がゾンビのごとく闊歩し、遅まきながらメディアによる「後から解釈」によって、さらに混乱をきたす人々が山積するほどの変化であるのは間違いなさそうだ。
この、現状ではとてもわかりにくい大きな変化を、特に国内では情報が得にくいがおい続けなければならないし、最低でも根本的に履き違えてはならない。
我々一般庶民に準備できることは限られているものの、感覚をよりニュートラルにし、神経を研ぎ澄まし、裏をかかれないよう細心の注意を怠ってはならない。
人それぞれで、出来ることには限りはあるだろうが、心の準備は万人に出来るのだから遅れは取りたくないものである。
これからの時期の年末年始は、我々庶民にはイベントや娯楽が目白押しの時期である一方で、より緊張感を維持しながら大きな変革のヒントを掴まねばならない、例年とはひと味もふた味も違った注目の時期になるだけに、その時代を後悔の無いように集中して過ごしたい。
ジムニーは、むしろ質実剛健で女性向きに思える話
ジムニーの売れ行きが止まらないようで、自動車男子にとどまらず、車の購入を考える人にとって気になる存在になっているようだ。
【スズキ ジムニー 新型試乗】「自然児状態」が女ゴコロをくすぐる…岩貞るみこ | レスポンス(Response.jp)
硬派を決め込む男子ユーザーには申し訳ないが、クルマ好きのくろまはあえて言う、ジムニーは女子向けのクルマだと!
これは男の勝手な妄想だけど、ここまで硬派で潔い機能美の塊のようなクルマの、コスパの高さを賢い女子が見逃すはずがないとさえ思う。
同じ男子なので情けないと思いながらもあえて言えば、むしろ最近パットしないリアル男子より、男前でカッコイイ。
最近の女子はリアル男子にさじを投げるように、ペットやアイドル、様々なグッズに男らしさを求め、購入基準にさえする傾向を見るに、そんな女子には当にツボな名車と言える。
インパクトや個性と実用性をバランスよく持っている割に、軽ならではの税制面の優位性やコスパの高さを備え、今までありがちだった安かろう悪かろうな丸まっちい無難を絵に書いたクルマとは、明らかに流れを異にしながらも操作性は意外としやすい。
むしろ、軽のコンパクト性によって回しやすく、角張ったパッケージは見切りがしやすく、安全装備もほぼ標準である。
車高の高さは、女性には最初ハンディに感じるだろうが、慣れの問題で何より乗ったあとの見晴らしや見通しの良さは、変えがたい所有感を満足させる決めてになる。
今は売れすぎて納車が来年にずれ込むらしいが、生産体制を改善しているそうなので、解消も早いと期待できる。
また何より、この手の本格的なコンパクトオフローダーは、ジムニー以外どこも発売していないので、他社比較の煩わしさが無い。
ただ、独占なだけに値引き交渉は簡単ではないので、値切り好き女子は苦戦するかもしれないが、くろまがスズキのディーラーに行ってたいてい感じるのは、他メーカーのディーラーに比べて、スズキのそれは肩肘はらずフランクに交渉しやすく、変な裏読みの面倒くささが無い印象だった。
地方の販売代理店だと例外はあると聞くが、ちょっと足を伸ばしそこそこ販売量の多い店で交渉すると、あまり悪い印象は少ないだろうと個人的に思う。
かつてのくろまもそうだったが、相当遠出しないと買えない人も多いと思うので、自宅からの距離と利便性とのコスパは、ケースバイケースでバランスを取らなければならないが、言い値で買ってもそこは大型車ほど高額でないので、こうした機能性重視のクルマは価格相応の価値を理解しやすいし、買うときは高いと感じても機能に満足していれば割高感は残りにくい種類のクルマのひとつだと思う。
その点で、くるマニアが久しぶりにこんな軽自動車に、熱い眼差しを向ける稀有なクルマには購入候補に入れ、比較すべきクルマ。
別にスズキの回し者ではないが、自動車好きの一人としてぜひ、クルマ購入をされる方は候補リストに入れる事をおすすめする。
そのくらい久々に男も惚れ込む、所有欲をくすぐられるクルマだから。
何度か試乗をオススメするが、クルマで出かける楽しさが何か変わってくる体験ができるかもしれない。
イルカショー・クジラの文化で表面化する、根深い矛盾
先日国内でニュースになった、外国人にとってのイルカショーの印象にしても、クジラを食肉と見ないIWCの見解にしても、彼らにとって日本人の文化は「野蛮人」の所業にしか映らないんでしょうか。
彼ら(主に西洋人)の社会文化にも我々から見て同様な事例はあっても、スタンダードを自負する彼らには問答無用なので、結局受け入れる事になるのだろうか。
多様性ルールを打ち出す昨今の風潮の中で、彼らの文化に合わないものは多様性とみなさないかたくなさが、多様性の難しさをさらに複雑にしている。
多様性を受け入れるとは、宗教や性、文化や歴史の相違のズレから生まれるリスクを、平等に分かち合える概念だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
IWC、商業捕鯨再開案を否決 日本は脱退示唆 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
クジラに関しては、捕鯨で乱獲したのは彼らで、とりっぱなしでクジラは激減した。一方、日本人は責任を持って減らない努力をして捕鯨するノウハウを持っている。
クジラ保護の気運には、映画「STAR TREK」のエピソードが大きかったように思う。
このエピソードで国内でも公開当時、保護派が激増した印象があった。
確かにクジラは私達ヒトと同じ哺乳類と言う、ダーウィン進化論で言う最も進化した生物と言う事になっているし、事実としてもイルカ同様賢い海の動物である。
それを保護したい人の欲求は否定できないが、同じ人間同士でさえ多様性を認められないのは、それ以前におそまつなのも事実で、多くの方がその矛盾に結論を出さないままで、この保護活動に加わっているのは、最と別の根深い人間の心理が関わっているような気がして、どうも素直に賛同しかねる今日この頃。
医療市場の諸事情と患者のニーズ
久しぶりに、がっちりマンデーを見た。
高齢者・単身者の増加や、健康ブームも手伝って、医療はビジネスとしてジャンルを正当化できる時代なのだと感じる。
しかし未だに、過度な病院利用が常習化されるシーンが増えてるんだな、とも実感した。
少しビジネス話からそれる。
もう何年も前になるが、その片鱗を実際に見た経験を思い出した。
それは家族を救急搬送する経験することが何度かあったが、救急車に同乗して救急指定病院へ行ったときのことだ。
国立病院だったので、ER専門部署に搬送された後で、幾部屋かに別れたブース状の診察室で家族が診察を受ける間に、待合を指示され、結果待ちをしていた期間が結構小一時間あったが、座ったベンチの真向かいが救急搬入口になっていた。
その入り口は、頻繁に開け締めを繰り返すのを嫌というほど見ることになった。
大都市のERだし当然と言えば当然かもしれないが、問題は搬入された後の事でその搬入された患者候補の殆どが、結果論だが大した病気でもないのに”なんちゃって救急患者”とでも言いたくなるような人々が、とても多かったのには衝撃的だった。
最近救急搬送者の多さに、救急車の数が追いつかない現実をニュースなどで見聞きしていたので、日本の医療機関の能力不足に危機感を感じていた。
ところがこうした実態を見るに、自分の認識を恥じることになったわけだ。
家族が入院が決定し準備のために一時帰宅しながら、そのおぞましい現実に思わず閉口したと同時に、この先医療の進む課題が見えて、ゾッとした事を思い出した。
医療業が神聖化されるのは、本来の意味とはかけ離れた、業界が安定しつつ公務員と同様保証されるように画策したイメージに過ぎない。
これは、患者側にも課題になることで、メディア情報に振り回され、自己判断力を失い、自分の身体の調子さえ客観的に判断できず、医者や医薬業界に健康リスクを丸投げしている現実にあるのではないか。
家族の死を目の当たりにすれば話は別にしても、ちょっと太っただの、ストレスで調子悪いだの、ちょっとした切り傷や火傷にうろたえ、風邪の原因さえ自己判断するのを敬遠し、何をおいても119番コールする風潮。
言い過ぎを承知で言えばまるでタダなら利用しないのは損とばかりに、医療もコスパ偏重派が幅を利かしている現状は、きっと今でもERの現場で繰り返しているだろうと、容易に想像できるのだ。
人は確実に減る現実の中で、本当に正当な医療を必要とする人が居て、その立場なら深刻な状況を目の当たりにしている家族や当人には、この馬鹿げた主流派の横行は、当に洒落にならないのだ。
使うべき時に使う。
その要の自己判断力は、本来持っているもので、たとえ専門知識がなくとも、自分の身体の状態は、自分が最も知っている事のはずなのに。
それさえ自信を無くしたのか、自己にかかるリスクを第三者に転嫁しすぎて、自己判断しない者が増えたがために、この当たり前の判断ができていない。
この点で当たり前の判断力が低下しているのは、
本来日本人の誇るべき「潔さ」が失われているのかもしれない。
公共サービスが無料だからと言え、とりあえず呼んどけという安易な現実回避策を選ぶ前に、危機意識に苛まれる中でも、一度自分の耐性に向かい合って、許容できるリスクが本当に無いか、それでも医者にリスク転嫁すべきかを考える時間は十分にあるだろうと思う。
それは邪推だ!
と思われる方も居るかもしれないが、少なくともこの可能性は無いだろうか?
「命に関わる医療は何を差し置いても、判断の正確さより緊急性が優先されるべき」
と、
確かにそうだ、誤ってはいないし、その結論は患者がするものでなく医者が下すべきというロジックを否定していない。
ただ、医療待機者が増える傾向がある今、この優位性を暗黙に過信したり自己都合で利用していてないかと心配になる。
本来の患者の立場に立たされたとき、そのしわ寄せを受けている現実を目の当たりにするのだ。
その時思うかも知れない、
「お客様(患者)は神様というロジックは乱暴で、自分の首を締めかねない」
自分で判断できればそれに越したことは無いのに、私達は上の暗黙の保証があるがゆえ、もしくは思考停止したまま、専門家神話に甘んじ過ぎていないだろうか?
それだけは理解していただければ幸いだ。
さて、ビジネスの話に戻る。
救急車不足を生んだ原因が、医療機関ではなく、私達患者側が生み出したという事実を見た。
がっちりマンデーで紹介された夜間診療病院ビジネスは、こうした救急医療の実態を知り尽くす者にとっては、ブルーオーシャン市場という点で理に叶う。
しかも、やってくる患者は軽微な病気が多く、しかも救急搬入される患者も予め致命度の低い者だけという、低リスク。
言っちゃあなんだが、医療をビジネスに変えるなら、命の保証は可能な限り避けるのは鉄則中の鉄則。
夜間というナマケモノ医者としては避けたいこの選択をして、患者からは感謝されるのだから、人と違う時間帯に抵抗がなければ当にチャンス。
火中の栗を拾いたがらないなまくら医者のスキをついた、救急医療事情を知り尽くした医者ならではの独占場だけに、苦労してきたER経験者には朗報だろう。
患者側も、救急現場という修羅場をくぐった猛者が、しかも夜間に診察してくれるのだから、これ以上の安心は無い。
医療を儲け話にするのは、倫理的・心情的にバッシングを受けやすいが、業界と患者双方から喜ばれるビジネスだ。
医者は頭のいい人が就いていると思っていたが、弁護士や会計士、企業診断系の業界が飽和状態だけに、安定しきった業界に浸りきったり、保身に走りすぎれば、その結末は悲惨だ。
最後に、医療ビジネスでは夜間診療はまだ隙間産業だけに、これからの医者を目指す若者も、ERで武者修行して究極の医療現場を経験しても、十分に後で元が取れそうに受け取った。
クルマの時代に、大きな変化が来たとしても。
自動車のカリスマは、本当に一番良い時代を生きたのだな、と思う。
ホンダ創業者 本田宗一郎氏の「ものづくり魂」、伝説の経営者が生きた84年間(ビジネス+IT) - Yahoo!ニュース
今までのモータリゼーションを俯瞰してみると、逆に本田宗一郎氏のようなカリスマがこの時代を作り上げてきたということなんだろうな。
かく言う自分も、こうした良きクルマの時代を作るー構成員なのだと思うことが多々あるし、同じ思いの人は多いと思うに、これからの時代は大きな変化が起きようとしているのか、単純に自分の世代に合わせて見ているからなのか。
ただ、これからのクルマは「自動車」というカテゴリー単独で大きなブームを引き起こすことは無いだろうと思ってます。(それを確かめられるまで生きてはいないでしょうが)
明らかにクルマは、ITやECOの中での手段の一つになっていくのが見えているので、生活や人生の価値観や目的にはなり得なくなるから、というのが理由。
故に王道の時代を生きてきたくろまは、その世界を可能な限り楽しんでいきたいと思うし、それができるのが自分の世代だと開き直るつもり。
イイねぇ、これだけメジャーで歴史に残るモノに、こだわれるというのは。
すっごい特権だと思うよ。
仮想通貨の、今後の投資価値ゆくえ
仮想通貨の急落をうたう記事や、テクニカルで収束後に大幅下落の速報が強調されだしている。
仮想通貨技術は、大きな評価や将来性が期待されているにもかかわらず、いざ投資価値としては、将来性に関しての評価がますます低くされている。
(注:少なくとも国内メディア情報のトレンドでは……海外筋は市場の自由度はまだ高いという見方も多いよう)
仮想通貨急落で時価総額1.8兆円減少・リップルは重要支持線を抜ける|仮想通貨市況
ここ一年の現状を見て、まだ投資価値を見出すものには、大きな試練の時期と言えるし、筆者も基本ネガティブ派でことあるごとに叩いてきた。
ただ、もし今後可能性があるとすれば、年末以降の大量売、激安価格からの高騰というシナリオが起こるかどうかでほぼ決まると考えている。
要はパトロンとなりうる大手投機筋が、乗るか反るか次第。
ここ数日の急落は、仮想通貨に限ったことでなく株先物全般に共通して起こっていることから見て仮想通貨単独の値動きでは無い。
見るべきは、年末に向けて上がると見られる株の動向で、仮想通貨がついていくか、乖離するか、という点。
いま、先物投機筋が大きな売りと買い戻しをしかけその成果が芳しくないらしい、その動きに振り回され、今日の全面株急落につながっている。
来年度に向けて、少なくとも年内この動きはまだ止まないと警戒されているので、その間に仮想通貨はますます不安定な値動きをすると考えられるが、予想外にも大きく株先物の動きに反応する動きがあれば、もしかしたら円のような一時的な資産退避手段として生き残る可能性がある。
ただ、仮想通貨単独での資産価値や魅力は期待しないほうが無難で、あくまで他の資産運用のいち部としての投資と割り切って投資すべきで、全額投資しか選択肢の無いものは小遣い稼ぎも諦めたほうがいい、というのが当面の見方。
AIと人間による仕事強奪戦、将来の職業選択は雇用か自営か?
いちいちゴシップ記事に反応しても仕方ないけど、下の記事をダシにして書いてみると、昨日もAIとの将棋名人戦においてAIに人間が負けたニュースが流れて、AIの正確無比なデータ処理能力にお墨付きをつけることになった。
AIに仕事を奪われて大量失業か。意外な救済策が、本気で検討されている | 日刊SPA!
参照記事でも、惜しまれながら今年この世を去った天才スティーブン・ホーキング氏の言葉を引用し、AI進化による就業機器を警告しているが、一方でそれに反論する識者も少なくないことも指摘しておきたい。
さて、氏は職を失うと予測しておられるが、それを受けて英ガーディアン紙がその尻馬にのって工場の自動化の効果に触れているが、工場の自動化とAIの導入では本来別々に考えなければならないものを、妙な関連付けで誤解を招く書き方をしているように思う。
工場の自動化は、AIが登場するはるか以前から、つまり産業革命がおこったときから始まっていたことで、その自動化にAIを導入して得られるメリットは、自動化の進化による効率化よりはむしろ人権費の削減によるコストカットの方が高いはず。
こうした工場経営者に関わらず、AIを引き合いに出す企業経営者側の本当の目的は、経費で最も大きい比率を占める“人件費”の削減を正当化するための詭弁なのだと思う。
経営者にとって雇用者のリストラ課題は、かなり前から目の上のたんこぶとして悩まし続けてきたが、世界でもさらに日本では「労働組合」の存在が、この問題の表面化でシャレにならない抵抗を余儀なくされ、企業体質の安定化・スマート化を遅らせてきたのだから。
ここに来てAIという仮想労働者の登場は、渡りに船だった。
労働者として、人間よりAIは優れていることをあらゆるシチュエーションで証明していくことで、
AI=リストラの正統な言い訳
という等式を正当化しようとしているのではないか?
と疑いたくなるのだが、さてろうだろうか?
さてその上で本題に入ると、AIを見据えて我々人間様の有るべき仕事とはどのような選択肢ができるだろうか?
まず雇用者として一般では、当初ブルーカラー職がAIに取って代わられると囁かれたが、これは先に述べたようにもともと企業が目指したものなので当然として、新たにホワイトカラー職も、職種によっては随時侵食を受けていくと考えられるので、今後後者の方々も油断してはならない。
特に、公務員・国家資格的な今まで安定してハイソなイメージの職は、就業のハードルが高いが、なってしまえばほぼルーティン作業なため、こうした仕事はAIに取って代わられやすいと考えられる。
そうするとやはり、クリエイティブな仕事や、システムエンジニアのような専門性と永続的に高スキルが要求される仕事が候補に上がるが、医者などもこれに含まれるが入り口のハードルが高いことに加え、就業後のスキル維持の要求度はハンパなく高いので、AIが侵食し難い領域であっても、人間でも同じのためおいそれ転職は難しいと考えられる。
長くなったので結論を急ぐと、企業雇用を前提とする職業は職そのものの安全性とは別に、企業側の要求や方針によってAI対策以前に条件が不利になると考えるべきだろう。
かと言って自営を選択するのはリスクが高いと思う雇用に慣れたH人は、二の足を踏むだろうと想像するが、当面の貯蓄を確保するのに雇用職は、安定していてメリットは高いものの、ゆくゆくは自営化を目指さないと自身の自由度は狭められる。
職業選択の、雇用と自営の良し悪しは永遠に解決しないループ問題だけに、総意としての結論を期待できないのは言うまでもないが、間違いなくお金を稼ぐ上では不可避なだけに、ここは経営者的な合理的で自由度の高いリスク選択をできる立場を目指すべきだろうと思う。
残念だが、その理想像は人によってさまざまなために、一人一人のコンサルは無料で手に入らないことは言うまでもないが、そもそも企業にとっての理想的な雇用者とはどのようなものか?
それを各々が追求した反対側に、その答えのヒントがあるように思うのだが、
さていかに?