くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

東京の、日本としての中央機能の死を迎えつつある今

地方に住む筆者にとって、元々から東京都に政府行政機能が集中していることに何のメリットも感じてこなかったからかもしれないが、今まで執拗なまでに国家機能や経済機能を一つの都市に集中させているこだわりが理解できなかった。

 

そう思っている中でここ最近の東京都の動きの体たらくはどうだろうか?どうにも日本の最高峰都市だとは、思えないし単にバタバタ混乱にあえいでいるとしか見えなくなってないだろうか?

 

これからの時代、ITインフラと自動化設備の発達で、地政学的なハンディは無くなっていくといわれ、それが100%文字通りになるとは考えにくいにしても、日本は様々な災害リスクを古くから抱える国であり、国の機能のリスク分散はもっとも優先的にすすけるべき案件な筈だ。

 

それが未だにどころか、まったくその動きを見せることすらないのに加え、先からの中央集権化に固執した割に、成果が上がるどころ地方に引っ張られるように、都市機能を弱体化させているのは何なのだろうか?

 

仕事や将来設計のために東京に移転する人が、未だ圧倒的に後を絶たないが、その地涌運をとやかく言わないにしても、彼らの生計や利便性を地方のそれを犠牲にしてまで補填するいわれはないわけで、地方自治はその現実に気づきつつある。

 

東京都のコロナウイルス被害の現状は、国全体を引き釣り倭下割には、被害を悪化させつつあるし、なにより海外からの転入を一度も全面禁止していない危機意識の甘さは、結局今の感染増大を加速させている。

 

東京都知事選挙は、何が何だかわからないうちに現職再選で終わって、過去の付けを払わされようとしているのかわからないが、心を改めず未だに旧態依然の調子で、東京都民を二次感染の危機に晒そうとしているかのようだ。

 

経済関係者や経済専門家たちは、さすがに優秀な人々が集結しているだけあって、東京都の経済効果を考慮してか、表向きには全機能の東京一極集中を常識のように、他の選択は一切語らない。

 

東京が最大の力を握り続けることが、永遠で最良の手段だと信じて疑わない日本には、今後多くの災難から効率よく避けながら、東京都民に降りかかるリスクに一切目を向けずに人口・雇用問題を解決できるのだろうか?

 

中央行政は、相変わらず地方の問題は軽視しながらより国家機能の中央集中化を推し進め、いざとなれば地方を切り捨てかねない経済政策をとっているようにみえてしまう。

 

この先、東京を制圧すれば、一瞬で日本の全機能が停止すると判っている、致命的なリスクは今すぐに是正すべきだと思うのだが、なんだが地方人の方がバカに見えてしまうような、東京の物言いや行動は、どうもしっくりこないのは筆者だけだろうか。

 

 

木を隠すには森に、リアルスカイネット・宇宙産業

通販大手が展開するAWS(amazon web service)が、宇宙産業に参画すると発表されたが、アマゾンは業界の垣根を超えた超莫大な資産を抱える、モンスター企業なのは周知の事実。

 

資産的に行き着くところまでいった企業が目指すネクスト・ステップが宇宙市場への進出ということらしいが、しかし宇宙には今のところ公的に見て顧客は居ないが、では何を目指しているのかと言うと、米軍需産業市場の巻取りらしい。

 

同企業が、地上の市場の設備投資だけでは消化し切れない資産を、単に内部保留するとは考えにくかったが、こともあろうに軍産複合体に食込もうとしているとは、当に青天の霹靂だ。

 

一代で短期に築き上げた新興企業が、利権バリバリの新規加入などありえないと言われる軍需産業に食込もうとしているとは、これは成り上がりが世界を支配する、スカイネットそのものではないか。

 

この目的を果たすには、通信網の高度な進化が大前提だが、本来通販大手がいきなりここまで極端な異業種参入すれば、少なからず波風が立つ。

 

その隠したい木を隠すにはどうするか?それは木を隠す森を育てる流れに乗ればいいと言うことで、都合の良いことにIT企業大手は通信企業と利害が合致して、5G通信網拡張を既に進めており、それなりの市場の理解も得ている。

 

この状態で、かつてはあり得なかった1民間企業の巨大利権市場参入、いや場合によっては乗っ取りが現実的になったと言える。

 

これからの時代、多くの人が描く近未来社会像の実現には、高速大容量通信網が不可欠という命題がほぼ常識として認知されているが、我々は何の抵抗も無くその空想を受け入れているのも、奇妙な話だが、それはさておき敢えて否定するものは少いだろう。

 

この一見違和感のない大前提が正当化されている社会で、世にも大胆な下剋上が静かに進行していると思うと、そう来るかというヤラレタ感が湧いてくる。

 

軍需産業と言ってもAWSが狙うのは武器産業そのものに関わらず、恐らく最終的に米国防総省の機能全てを取り仕切る程の規模にまで及ぶと想像できるが、当面目先の目標は監視システムとドローン兵器などの領域になるのではないか。

 

アメリカ合衆国は、国であってもそもそも建国目的は企業による、究極の自由主義市場の構築であったところからも、国家資産そのものの多くがスタートアップ企業・資産家のポケットマネーの様なものだっただけに、実力のある企業は下剋上が赦される風土がある。

 

古参・新参者何れも、共通の目的はあらゆる手段を使っても、地球上にありえる市場の絞り取りにあることは間違いなく、寝ていても資産が増える錬金術を得た者には、等しくチャンスを与える。

 

この仕組みこそ自由主義の根底であり、多くの人がこの事実を見ていないが、人の居ない宇宙にまで市場を拡大し、防衛ラインを広げた意味はここにある。

 

宇宙軍設立は決して宇宙人の襲来に備えているわけでは無く、情報通信網に進化によってより緻密に網羅される地上の市場を、より予測可能で管理しやすくを確かなものにするためにの、拘束でありセキュリティ強化でしか無い。

 

この動きの先に見えるものは、果たして何だろう?

 

やはり、スカイネットの支配する暗黒の未来だろうか?それとも閉鎖的でも安心できる究極こ保護社会だろうか?それはまだ判らない。

 

ただ今のところ言えるのは、未来は決まっていないという事実と、AIが予測する未来はそこに生きる全ての人の、思考と行動の結果大きく左右されるという現実だけだ。

 

幸いなことには、今のところ未来はどうにでも変えられる余地は残っているということだ。

 

AWSは一例でしかないが、こうした動きが結果を出し始める頃には、もう社会はほぼ方向性を固めている、だから今未来を些細な生活行動から立て直す行動が大事なのだ。

 

AIは、その一挙手一投足を見て進化する、人間の子どものようなもので、見せる行動によって未来は明るくも暗くもなり得る事を忘れないで欲しい。

 

お店頭様は見ている、AIは神でも天上界のような超越した存在でもないが、無垢な子どものような存在であるのは間違いなく、AIの育成ゲームは既に半ばまで進行しているということだ。

 自由の国が消えた瞬間、誰もが無責任を問われる時代に突入する

2020年7月1日は、全世界の自由世界圏にとって、その中で生きる多くの人達にとって、極めて厳しい転換点となった。

 

ご存知の方は多いと思うが、香港で一国二制度を実質上中国共産党が反故ににした日となるからで、「香港国家安全法」が本国中国で可決成立したことで、中国と世界とのビジネス・金融ハブが一つ消えたのだ。

 

中国と言う巨大市場と他国の金融市場を、自由経済都市の香港がこれまで合法的につないでいた関係が、国家安全法施行で香港内の外資企業・香港に基盤をもっていた資本団体が、リスク回避のために流出し始めている。

 

これまでは、社会主義中国共産党と資本主義圏の世界マネー需要から、香港を通して世界基軸通貨ドルの交換を容易にさせていたが、新法成立で中国側優位の市場に多くの資本団体は、中国市場への参入リスクが大きくなっていると判断している。

 

加えて前年から続く米中間の貿易戦争・中共ウイルス責任問題で、アメリカを中心に中国への経済圧力が高まっていることも、マイナス材料で経済上の中国の疎外感は高まるとし、マーケットは香港を冷徹に捨てるだろう。

 

また、香港は人権の在り方や倫理観においても、自由社会とは決定的な乖離をもった中国共産党の絶対支配圏に置かれることで、経済・民主ともに人間らしい生活が困難な地域になってしまう。

 

 一頃はイギリスのシティのアジア地域における、金融拠点として期待された香港も、中国共産党への読みの甘さとしたたかさに金融ノウハウを奪われ、アメリカにしても技術・特許などの優位性を中国にいい様にだまし取られ、ここまでは中国共産党の戦略勝ちと言える。

 

今後、経済戦争の一定の節目をつくったこの日を起点に、より資本主義経済圏がアメリカを先導に、どこまで明確に仕切り分けしていくことができるかは、中国共産党の体力とも大きくかかわってくる。

 

この采配に重要なポイントは、民主制度という中庸で厄介な緩衝材のような概念が在ることだと、筆者は考えている。

 

中国共産党の狙いが見事に成功してきたバックには、一見平等に見え聞こえのいい子の概念によって、資本・社会主義の明確な経緯と存在理由が、多くの人に曖昧にぼかされてきたことにあるのではないか。

 

特に日本は、戦後敗戦によって当時既に巣くっていた共産思想家らによって、アメリカが病巣化され出していて、そのアメリGHQ政策によって、アメリカへの傀儡化だけでなく、共産主義者による労働者洗脳施策が織り込まれたことにあった。

 

この実験ともいえる策謀は、静かな操作活動によって日本だけでなく、米ソ冷戦で対立していたアメリカにも、それは始まっていたことに多くの人が気づいていなかった。

 

この事実は、近年になって一部研究科によって暴かれているが、それまでは陰謀論で済まされ、面に出されれることさえはばかられていたことは、資本主義経済や社会にとって大きな損失であったかもしれない。

 

それまでは本来自由であるはずの金融・資本は、民主主義の名のもとに市民側に公平に分け与えられるべきものという、刷り込みによって逆に市民に公平に回るはずのマネー流通が曖昧にされ、使途不明金を生み出し、見えない金が闇に消えていく悪循環を実現してしまった。

 

本来の自由経済が成立していれば、カネの流れは法によって透明化され、それによって金融の問題が発生した場合、明確で有能な金融政策によって修復は容易だったはずだ。

 

一部の資本家が隠匿が発生しても、カネの流れを正常化する仕組みによって滞りを早期に発見対処ができたはずだが、どうやら現存する自由経済はこのような社会ではなかったのだろう。

 

マネーによる、経済社会そのものを発明した者が、マネーをどう利用しようが使わされている側には正当性は本来無い、不服ならば物々交換の社会に今から変えろと言うことだから。

 

そんな非現実的な行動は、ほぼ不可能である現在において、唯物史観社会と拝金主義社会を取り繕っていた都市香港の機能停止は、本来どちらの陣営にとっても不幸なのだが、中国共産党は「メンツ」のために潰してしまった。

 

イギリスを含め欧州国が、共産民主制を受け入れつつある中で、半強制的にアメリカ側が、かつて日本を戦争に追い込んだように”意図的”に追い込んだ可能性はある。

 

アメリカは、そもそも建国の動機にある自由経済社会の成立させる、都市国家として建国され、今日まで世界の経済・金融のリーダーシップを自負してきた。

 

そのアメリカにとって、アジアから湧きおころうとする反旗の動きは、リメンバー・パールハーバー同様、二度と起きてはならない悪夢なのだろうが、それに追い込んだのはその他資本経済圏の各国が、足並みをそろえず責任放棄する行動による焦りもあるのかもしれない。

 

いづれにしても、泥沼のレースを世界が少しでも早く抜け出すには、世界各国の意見と態度を明確にさせ、問題を一本化させない事には、一歩も動くことはないだろう。

 

その意味でも、今後多くの不明瞭な言動を都合よく多用していた人は、よくよく考えて行動し、いったん行動したことには全責任を取る覚悟を持ったほうが良い、自分をボカすほどその曖昧さが、自身の首を絞めることになりかねなくなっていくからだ。

 

多くの人が、大きな誤解をして、忘れていることがある。

 

「自由は、待つでも与えられるものでなく、つかみ取るもの」

 

という現実だ。

科学では見い出せない知恵と人の感性

下の文章は筆者の創作小説中で、ネイティブアメリカンの教えとして書いた一節だが、この教えはどの地域の真理にも共通のものであり、人が知恵を有して以来持った、自然から闇の恐怖を学ぶ知恵の比喩でもある。

 

 闇に紛れれば、人は僅かでも光を利用できる。
 神がなまじ光を与えたがために、人は闇を恐れなくてはならなくなった。
 闇と素直にすりよれば、人は強くなれるのに。

 光は闇を生む、光が強ければなお、闇も強くなるのだ。
 人よ! 恐れず余計な光を求めず、闇に慣れ一体となれ。
 自ずと闇は恐れるに足らず、心安らぐ支えとなろう。

「我々の大地の神は、正しい闇の力を教えてくれるのだ」

 

ネイティブアメリカンは、自然から八百万の神を見出した日本人と同様の感性で、壮大な大地に現れる訪れる夜の闇から、自然を畏れ敬い、共存する知恵を学んだと言って良いだろう。

 

日本人は、自然に超人的な世界観を見出す事で、人が知恵におごる愚かさを抑えようとしたが、その表現方法に相違はあれど、彼らと根本の解釈が共通している学びは、全く歴史が異なる地域でも奇妙な共通点を持っていて、それが真理であり社会ルールとして活きていた。

 

このように、人が欲する真理は本来何も無いはずのところから、意味を導き出す人の知恵の発動であるが、我々日本人も例外なくこの知恵を自然と共存することで、たくさんの知恵を学び、真理へ導いていった人々だ。

 

これを表現するために、日本人は今までにカタカナ、ひらがな、そして古代中国から漢字を取り入れ、それらを時には使い分け、時には上手に混ぜていくことで、豊かでより詳細な知恵を我々子孫に残してくれている。

 

ただ、最近の我々の境遇は、他国の様々な思惑に沿って、その知恵を引き継ぐことから遠ざけられ、近い将来には無意味な知識でしか残され無いようにされているのは、とても残念なことだ。

 

近年の日本人にとって、少しでも多くの資産を得るのに意識や時間を費やすことが増えた、これ自体に何の罪も無いし、むしろ大いに勤しむべきことだが、それに目を奪われた事でそれ以上に大切な、継承すべき日本人の資産である知恵を知ったり体験する機会を奪われているのは、余りに虚しい話だ。

 

それでも不思議と無意識に、親から子へと教えが継承されているのは、素晴らしいことだが、少子化でその美しい姿を見る機会も減っているのは、もう親子関係を超えて日本人の持つべき共通意識にしていくしか無いかもしれない。

 

その継承は、強制であってはならず、自然から学んだ以上自然にされるもので、普段の行動から学び取るものだっただけに、それが最近の受難の中で誤解されているのは残念で惜しい話である。

 

多くの不安や恐怖から、どうしても繊細な日本人は、自然にできるはずの行動を、行動そのものに意識を入れすぎて意識より行動に意味を求めすぎる傾向が強い傾向が出ている。

 

こうすべきだ!、〜でなければならない!、日本人なら〜、自分がそう思い込むと日本人なら当然同じ行動をすべきだと言わんばかりの暴挙にでてしまう、これほど悲しい事はない。

 

そこまで思い詰めるのも、日本人の繊細故の結果なのかもしれないが、そんな時にこそ上に残した闇について思い巡らせて欲しいのだ。

 

人は賢い、しかしそれを過信するがゆえに、本末転倒な行動にでてしまうことがあるが、その本意はとても純粋な性善説に由来しているなら、想いは正しい。

 

これは、闇との付き合い方と同じで、何度も向き合って慣れていくしか無いのだ、それを身の回りに起きる多種多様な体験を闇と置き換えれば、すべき事は全く同じで難しく考えなくてもいいこと。

 

日本人は、本当に素晴らしい才能を持っていると感心することが多い、日本人に生まれ日本と言う国に生を立てられたのは、本当に幸運であると心から思える。

 

その根拠は、1000年以上も続いた天皇以外全て平らかな社会の中で、豊かな四季と自然に恵まれた環境から多く残の知恵悟りを自由に好きな時に学べる環境に、偶然生まれて来られたからだ。

 

よく観察して欲しい、これだけの好条件や奇跡によって続く日本の様な国が、世界中何処に在るだろうかということだ。

 

それに気づいた時に、世の中には偶然だけでは理解し難い、何かを見ることだろう。

 

人の感性は、自然を畏れ敬い共存しようとする者と、恐れる余りに自然を破壊征服しようとする者に二分されてしまったが、世界は思ったより狭いと知ってしまうと後者が増えてしまった。

 

ただ、残念ながら未だ科学が自然の知恵を超えられ無い現実は無視できず、人は非科学な事実を認めざるを得ないし、むしろ自然から摂理や法則を見いだせる人の感性を、無能にする科学は無意味でさえある。

 

人は、そもそも自然の一部でしか無く、超自然とは何かを知る意味は無いし、深めるならば今現存する多くの奇跡の中に居ると言う実感や、自分の立ち位置の在り方を模索することが、科学であり自然と共存する知恵こそ万能であり、人が求める神ではないだろうか。

 

 

ビジネスの成功は逃げないこと

天変地異や、ウイルスの健康被害は避けられないにしても、多くの成功を願う人々が、予測不能の事態にあっても成功を諦めず無理をして力尽きていく姿を見るに、辛く虚しくなる。

 

成功は、多くの賢人が書いているように、才能とモチベーションの継続だけではなし得ないと言われるように、時には運が、また時には向き不向きが結果を左右することがある。

 

もしそのような立場に立たされたとしても、絶望することは無い。

それでも女神は、絶望の縁からでも光を当ててくれくことがあるからだ。

 

そのために、その一路の希望のために、闇をとことん見回しておくといい。

 

もう二度とその闇を見なくも良いように、最初で最後の貴重な体験だと開き直って、闇に慣れるまで気持ちを集中しよう。

 

人はどんな事でも死にさえしなければ、しまいには慣れるように作られている。

 

一旦慣れてしまえば、暗闇でも薄っすらと何かが見えてくるものだ。

闇の中を見渡そう、見渡したら後は光を待つだけだ。

 

不幸に位置ひしがれている方、今の自分は闇に目を向けているか?

 

闇を見渡しているだろうか?

 

もし、闇に心の目が慣れているのなら、今できる事何でも生き延びる事に集中してほしい。

 

あなたは成功したかったはずだ、闇を知ればどん底、後ろはもう無いのだ。

 

前へ進め、闇を知り尽くしたあなたは、もうなんだってできる筈だ。

 

しかし願わくば、闇に飲み込まれて闇社会に成功を求め無いで欲しい。

 

負の世界では、あなたの努力は光と真逆の方向にしか向かないからだ。

 

だから、闇を見渡したとき、どちらが正で負なのか、とことん確かめておいて欲しい。

 

残念ながら負の世界で成功をしてしまった者も存在する。

だが彼らは、その因果を背負って生きる覚悟を解って生きられているだけだ。

 

闇はヒトという知能を持ち得た生物だけが見ることができる禁断の世界だ。

 

それに踏み込む事は、ヒトとして死を意味する世界であり、その先は成功とは真反対の世界でしか無い、誰かが手招きしたら無視しよう。

 

あなたは、生まれてきた以上ヒトとして成功すべきで、闇を潜ったなら恐れる事はもう無い筈だ。

 

他人は、あなたに人と同じことを常に要求してくるだろうが、闇で手招きしたヤツを思い出して、ニッコリ微笑んでから無視すればいい。

 

あなたはファミリーとよべる者以外の忠告は参考にしなくていい、いちいち付き合っていたらあなたの貴重な時間がムダになるだけだ。

 

くどいようだが、あなたは闇を見た稀有な存在だ、そこがとことん能無しな世界だと知っているはずで、2度と訪れ無いと身にしみたはずだ。

 

成功のために、我が身を労り、信じるべきは己のみ。

 

己の真実を謀るな、己を再び闇に陥れる愚かな自分になるな。

 

ヒトはそれさえ忘れず行動すれば、成功できるようにできていることを、多くの人が忘れている。

多くの人がそれを忘れている限り、成功のチャンスの扉は、いつでも開いている。

 

その扉を潜るか否かは、あなた次第だ。

 

「環境」「民主化」で金を生んだ錬金術師たちの世界

日本の高度成長ピークを過ぎ斜陽化し出したころから始まった「環境問題」は、当時ほとんどの日本人は、生産施設の複合工業化によって起きた当然の帰結だと信じて疑わなかった。

 

公害で少なからず施設近隣の住民が健康被害を受け、企業側は訴訟され多額の賠償を支払ったが、その経験で日本人の多くが工業化の伴う環境破壊に、実害以上のトラウマを追うことになった。

 

その後、海外から「環境問題」が世界的な問題として、日本にも解決への参加を求められてきたこともあって、日本政府は莫大な費用を惜しまず支払ってきた……

 

ここまで聞くと、至極当たり前の流れに聞こえるだろうが、本当に当たり前だったのだろうか?

 

TVでは筆者が子どもの頃からグリーンキャンペーンとか、これまでにも海洋汚染対策とか、エコ活動・環境保護・クリーンエネルギー、直接環境でなくとも温暖化や教育格差の影響で、アフリカの動物保護とか、恵まれない子どもに……までも。

 

これらの、自然に対しては「環境」人に対しては「民主化」のキーワードがマスメディアのキャンペーンに闊歩し、破壊や差別などの一部の企業・団体のエゴが、世界全体の問題にすり替えられてきたという事実に、多くの人は無関心だったのではないか?

 

振り返ると、大量のキャンペーン情報で、漫然と人の良心に訴えかけて、一部が起こした問題を全体の課題だとすり替える行為が、世界的規模で起き、成功を収めたことで、特定のキーワードを使えばそれが全体責任に出来る、この既成事実はビジネス化されこれまでに莫大な利益を生み出してきたということだ。

 

これが、関わった人全体にインセンティブを生むビジネスモデルなら、何ら問題ないむしろ素晴らしい発明だが現実はそうではないし、その仕組みを知った者は真面目に働くことを止めてしまうだろう。

 

資本社会が確立した後、資本集団の効率化は加速し、マスメディアが広報ために買収され、市民はその虜にされた社会が、一方でその恩恵を最大に利用する独裁国家中国を生み出し、脅威になっている皮肉な現実。

 

環境改善、民主化と理想を声高に掲げながら、世界はそれとは逆の方向へ向かう中で、新たに掲げられた目標は「人口削減!」

 

ついに世界の目標は、人の反映さえ邪魔になったと結論付けたようだ。

 

これは戦争などによる暴力的な手段で起きるのではない、これまでの環境問題の様に”平和裏に呼びかけ”られ、日本のコロナ対策でもあったように、あくまで市民間の「要請」による「協力」で達成させられる、サイレント・バイオレンス以外に他ならないということ。

 

社会人である以上、「世界的共通スローガン」の生産性に参加できない者は、市民によって社会的に抹殺され、人間的な生活から外されてくだろう。

 

信じられない人も居るかもしれない、信じたくない人もひるかもしれない、しかし人が今まで通り盲目で活かされている限り、このままでは起きる悲劇であり、多くの人がそれさえ気づかず一生を終えるかもしれない。

 

その方が幸せだと思うなら、それでもいい。

それは各々の自由だから。

 

中共政策の攻勢とその背景勢力の影

中共政府が、一帯一路政策で欧州市場の傀儡化と、米国を始めとする技術やパテントの不正奪取による、中共圏勢力の拡大は、多くの人の予測を裏切って厄介で深い策略である事を認めなくてはならないが、アフリカ圏の政府要人買収から始まった巧妙な戦略は、いよいよブラジル政府を中心とする南米にも開始され、近いうちに中米の奪取が成功する事になると、いよいよ本丸の北米も崖っぷちになりかねなくなる。

 

今のところ、トランプ大統領在席においては、かろうじて5アイズによる抑え込みは効いているものの、次期米大統領選挙で民主党が勝利すれば、この詰将棋も詰みとなる。

 

日本も安倍政権の評価を不当に下げる行為が国民を支配することがあれば、詰みであり日米とも全く同じ危機に晒されている現実を、正しく判断しなければならないが、先日地方都市名古屋ででさえ黒人人権由来のデモが実行されたように、国民の間には極めて民主的解釈の大きな誤解が幅を効かせているようだ。

 

愛知トリエンナーレでも起きたように、愛知だけでなく全国で起きる民主主義の悪用と、オールドメディア企業による、愛国心への印象操作がよりいっそう国内メディアに強制力を増して、慢性的な歪んだ意識の恒常化が問題化しつつある。

 

SNSの書き込みを比較する範囲では、概ね正常な判断がされいるようではあるが、未だ一方的な押し売り情報やインフルエンサーを使った印象偏向の情報に、判断を流されやすい傾向は相変わらずで、利用されやすいのはウイークポイントである。

 

情報感染者側の連携が巧妙である限り、そこからの防御に必要な情報透明化も連携を強め積極的に働きかける必要があるだろう。

 

さて、これらの偏向的な圧力、特に中共政府の表立った行動が、ウイルスパニックの回復時期を狙ったように、異常な程強力になっているのには、中共政府以外の資本がバックアップしてい無ければ、あり得ないのではないか。

 

これを陰謀と見られるのを敢えて承知で書くが、言いたいのはこのバックアップによって、自由経済への抵抗は思った以上に長引く公算が高くなると言う厄介さである。

 

中共政府の粘着質な行動を、この経済疲弊時に利用する資本協力があるならば、暫くの忍耐は避けられないし、それが誰によってというよりも、便乗目的を精査し警戒する情報共有も必要になってくるだけに、過度な反応は混乱を招くがその目線も忘れてはならないだろう。

 

その証拠をあげるのに時間を浪費する必要は無い、その可能性を感じるならそれはおそらく正しいし、それならば判断材料に加えておくだけのことだ。

 

誰が見ても独占的で横暴な中共当主の稚拙な発想だけが、自由社会の圧力の源となっているとは考えにくく、隠された支援部隊の供給を我々が断つ事はできないにしろ、それによってはびこる便乗商法に警戒しておいた方が、失敗しなくて済みそうだ。

 

世界を引きずり振り回す者へのレジスタンスは不可能ではあるが、その遠心力に耐えながらも、目を回さないように冷静に生きることは出来る。

 

それはささやかだが、その世界で自分らしく生きるための、ささやかなレジスタンスだと思えれば、そこそこ成功じゃないかとも思う。

 

それでも世界は回り続けている、中共せいふの暴挙はその国家的レジスタンスのつもりなのかもしれないが、相手が暴力で仕掛けてきていない限り、暴力で抵抗してもむしろ不利になる一方だろう。

 

巧妙な相手には、同様の巧妙さで反抗するしかないのだ、そして静かに勝利への道に近づくしか、勝算の女神は振り向いてさくれないだろう。