くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

未来を語るのには陰謀論はセットになる

未来とは、希望に満ちて明るいものだと誰もが疑わないものですが、それを語る一方で必ず陰謀論が湧くのも、やぶさかではありません。

ハリウッド映画に未来的なテーマの作品が受ける一方で、未来への陰謀を扱った作品も結構ヒットするのですから、「陰と陽」の普遍的哲学にのっとって、未来へ向かう推進ベクトルが発生すると、陰謀の抑制ベクトルも湧き出て、上手くバランスを取るようにできているのかもしれない。

 

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アップルの顔認証「Face ID」は、恐ろしい「大衆監視社会」をつくり出す可能性がある|WIRED.jp

 

陰謀論で最も身近なのは「都市伝説」で、我々の身近な関心事がそのネタになることも多く、ネタにされるというのはその解釈のし方は人によって様々だけれど、内容が良かれ悪かれ関心を強くひく魔力みたいなものがある。

ただ気をつけたいのは、都市伝説は拡散しやすく盲信しやすいという厄介なところがあって、良い話ならいい我たいてい悪いネガティブな話が多いのも事実。

 

くろまもその点注意したいが、好奇心があるのも事実なので、今後前向きに捉えらえたり反面教師として都市伝説や陰謀論に関心を持ちたいし、単なる興味本位もあるけれど、現実的な目線で見るべき陰謀論を考えたい。

日本人に限らず人はこうした現実からは決して見えない世界を、空想しながら現実とうまく付き合っているのだから、都市伝説を含め罪のないものならそれでも良いが、そもそも情報源の多くが未確定な事実にも基づかない陰謀論が多く、変に社会不安を煽るだけなら、たんなる愉快犯に他ならないわけで、面白おかしいうちはいいけれど、変に信じる自由を束縛するような行為は控えた方がいいと思っている。

 

「オオカミと少年」の例えがあるように、たとえそのニュースソースが正しかろうが間違っていようが、結果が外れて仕舞えば「社会先導」した罪は重く、それによって人は情報からどんどん離れていくもの。

それを意図するなら話は別だが、多くの発信者はそうではないと信じたいし、メリットのある陰謀論を今後も期待したい。