バンクシーやピカソが背負う表現と思想
昨年開かれた海外オークションでのパフォーマンスで、新たに知名度を増したバンクシーの影響力は、新しい次元に到達したのかも知れません。
新興芸術に興味のある方なら知らない人が居ないであろう彼の壁アートの先進性は、絵画のパトロンでもあるエスタブリッシュメントへ、ますます痛烈な批判として影響力を示したことになります。
バンクシーはなぜ匿名のまま有名になれたのか(大山 エンリコイサム) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
彼は、素性が謎多きアーティストとして知られていますが、その根拠として売名や収入源としてのアートを生業としていない点で、それなりの覚悟の現れとして素性を隠さざるを得なかったし、それだけ扱ったテーマがある種の人物たちにとって、厄介だっために、自衛としての結果でしかありません。
このスタンスは、別のジャンルでも有名になった人物がいます。
名は今更言うまでもなく、元NSAエージェントで退職後祖国の真実を暴露したエドワード・スノーデンです。
彼らだけでなく、こうした情報社会を逆利用して保身しながら、本来誰もが知らなければならないはずの事実を、命懸けで晒さなければならない存在とは、なんなんでしょうか?
かつては、祖国スペインの理不尽さを「ゲルニカ」という大作で訴えたパブロ・ピカソも、その先端を行っていたアーティストですが、日本でも見方によっては三島由紀夫もその一人だったかも知れません(まだ歴史として結論が出ていないので暫定ですが)。
どの国でも「戦時」には、平常時の常識を逸脱した暴挙が、人知れずもしくは人目をはばからず実行される姿を私たちは歴史から学ぶべきですが、それさえゆるさない平和の弊害が実際に存在することを、バンクシーらは違和感なく教えてくれている。
先のオークションでの「シュレッダー」パフォーマンスは、そのキレの良いセンス含めて、平和の恐さを植え付けてくれたということです。
平和が金で動く世界、不安をばら撒くことで平和がコントロールされる世の中に、
彼らだけが「ヒーロー」に祭り上げられるのは、それこそ茶番でしかありません。
「真実はそこにある」
これは簡潔な名言ですが、
その原因は、私たちの中に巣食っているのです。