くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

100点満点にこだわるべきは何か、未来設計のヒント

日本人が誇り、守り通してきた産業技術精度へのこだわりは、どの国と比較しても秀でており、この伝承はこれからも究極の匠のこだわりは、日本を支える武器になる。

それはこれからも、だ。

 

ところが、この究極のこだわりは、モノづくりの場においては大きな成果を示してきたが、かたやサービスや商売においては、ことごとく成功例が少ないし、精度の高い優良製品が世界では売れない、という現実を真剣に考えているだろうか。

 

 

日本人が得意としてきたモノづくりへの究極のこだわりは、形や使い勝手となって現れ、評価され、価値を生むが、仕事のディテール(細部)の仕上がりは、9割の仕上がりに満足せずに、100点満点にこだわる精度を誇りにしてきた。

 

ただ、物事を完成させる場合9割まで完成させる手間暇に対して、残り1割の仕上げにかかる手間暇はそれ以上にかかるもので、その究極の1割の仕上げを赦される機会は、時間制約の多い現代では、ほぼニーズは無かった。

 

 

それでも最初は日本人はあきらめず、こだわり続けた結果要求された以上の日本製品や技術を提供し続けた、その品質のこだわりはこれからもあってイイ、がしかしタイムマネージメントや成果主義が優先されるグローバル社会において、効率よく成果を上げることや資産を生み出す手段は、日本人は殆ど持ち合わせていない。

 

 

我々の戦後教育は、グローバル社会の要求に応えるための100点を取ることを要求され、働き始めても与えられた範囲の中で、10割の拘りを暗黙に課せられてきた。

 

日本社会の第一線にいる企業戦士は、軍の様に統率され、そのチームにおいて能力評価されてきたが、AIがその役割を担うようになりこれからの社会で、人生のタイムマネージメントは、大きく変えられさせられるだろう。

 

我々はこれまでの暗黙のルール束縛から突然放り出され、政府や企業の責任放棄に遭いながら右往左往していて良いわけがないし、自身が気づいて自分で変えていかずに、依存の習慣の中で生きていく限り、何も変わらない事にぼやいていても始まらないのだ。

 

例え既存のルールに縛られ9割を搾取されいても、残りの1割にこだわる理由があるとすれば、自分の未来を変えることにこだわる習慣は、将来の自分を助ける。

 

それさえも疑問に思わないのだとしたら、もうすでにそこに人間の価値は無い、SFの見過ぎとか鼻で笑うかもしれないが、奴隷社会を口ではなじりながらも、身体はもうロボットなのだと知るべきだ。

 

時間は思う以上に有限だ、残された時間を何に使うか毎朝通勤の間にでも、真剣に考えて行動すべきであり、その結果が将来人として生きるのか、ロボットとして生かされるのかの生命線なのだから。