くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

政治家の思考回路が納税者に伝搬する、感染現象。

感染経路が特定できないと、口をそろえて言い切れる政府・東京の判断力をそろそろ疑い始めても良い気がするが、なぜこんなことが起こるのか。

 

こうした原因解明のための経路追跡は、科学的根拠に基づいて総当たりで一つ一つトライアンドエラーを繰り返して、より確からしい方向を推測していく、地味な作業に他ならない。

 

なので、専門研究者はそれを真摯に実行しているはずで、その統計から必ず何らかの傾向や感染経路が絞り込めない筈がないのに、発表された経路不明者が毎回半数を超えているのは、異常である。

 

この事実からいくつかの怪しい点が浮かび上がるのではないか、それは感染者数の根拠とも共通するもので、最終的に出た数字の責任制がうやむやにされてないか?

 

一つはそもそも経路不明者としている数字の根拠・有効性、二つは感染経路の基準として挙げているサンプリング対象が適切かどうか、三つはその結果に対してどういう答えを導き出したいのかの、論理的な説明不足だ。

 

他にも挙げられるかもしれないが、感染者や経路不明者の数そのものは、結果として可能性のある者は全て数に広いあげてしまっていないかという疑問。

 

経路が恣意的に怪しい所に偏って統計していないか、そもそも人ー人感染が前提のケースしか想定していないとか、単にざっくり感染者数・経路不明者数の総数だから、ざっくり感染が増えてヤバいとか、気をつけろでは、曖昧過ぎる。

 

加えて政府が、一定の責任にを被る前提での補償を出さないことで、素人努力だけの曖昧な要求によって混乱を招いた結果、人の行動がますますトレースしにくくなっている、こうなると経路調査どころではなくなる。

 

彼らは最も安易に集計しやすい感染者数と経路不明者数だけを根拠に、来年で回る目途が立ったと言うワクチンを、過剰に購入数を決定したり、その数を根拠に最終的な国からの予算持ち出しを最小限にする気しかないのではないか?

 

今の現状が被害算出の動機にすらなっておらず、想定内の経産省の予算計画に破綻の無いことありきで、先の統計数を利用してないだろうか?

 

 

過去から戦後日本が急成長し、その後も何度も起きた災害や経済破綻などの、経済的大打撃を他国が汲々としている中で、日本だけが比較的安定して乗り切ってこれたのは、実は、上の事と根っこが同じなのではないか、と思うのだ。

 

表題にあるような政治家・官僚に必要な素要として、大局的な視点によるカネの流れを作り出すスキルが求められる場合があるが、田中角栄の様な分かりやすいタイプと、姿を隠して地下で交錯するタイプが居る。

 

その後者のタイプの官僚が、国家予算を目減りさせない何よりも優先させるシステムを作っていたなら、日本の奇跡が生まれたのも頷けるかもしれない。

 

このシステムが生んだポジティブな面を評価すれば、むしろ納税者・国民の広まるのも歓迎だが、そうした才能が実際広まっているように見えない。

 

逆にネガティブである目減りさせないために、本末転倒な国民度外視でシステム安定を優先させる面が広まっているとしたら、これはいくつか思い当たる事例が思い浮かばないだろうか。

 

つまり、国民の生活を安定させ経済をじわじわ向上させるためのシステムが、システム安定優先に変わった時、特に有事の際程それが際立ってしまい、期待する効果と真逆の弊害が発生していると言うことに他ならない。

 

見た目上が、緩やかなデフレ経済状態に30年以上続させていた間に、親米的日本政府が、アメリカ経済政策では定番である弱インフレ状態を否定して、デフレを継続させたのは、予算コントロールしやすい体制を作り上げる方便だったのだろう。

 

陰謀論的に、中国共産党に忖度する一派によって、日本を中国政策下に置く戦略の一つとみてしまうのは簡単だが、実は戦前満州時代から日本の大蔵省は、強硬的なカネを生み出すシステムを事項している。

 

NHKの特集で、その仕組みを説明していたので可能性は十分あるが、そもそも日本の財政を管理してきた官僚には、それがマネーゲームであっても、前例が無くても資金捻出には、今の保守的な姿からは想像できない、大胆な発想を事項するエンジンが延々と引き継がれているように見えた。

 

それは決して面に出る者でない門外不出の一子相伝の技であるし、とても明かせないトンデモ奥義はパンドラの箱として触れることはタブー化した。

 

奥義は隠され魔法の様に経済安定という歪んだビジョンを生み出す彼らの魔術によって、長く慣らされた納税者は言われるままに義務を行使し続けている。

 

そして目先の利益に奔走する習慣だけが民間に蔓延したことで、より大局的視点から目を逸らせ、目先の増減にしか目がいかなくなる悪しき習性が、ウイルス感染がジワる様に、普通かのような空気が生まれてしまったのは、口惜しいことだ。