批判だけでは生きられない有事
宮根氏がどういう本意をもって言ったのか、ここで言うことではないが、政府が絶対権限を持っていな日本の実権者は誰か?
陰謀論にすり替える者は信用できない、ただ残念なことにそれは日本国内に居るが。
それを自由な立場で語れるのは、覚悟のできているプロのジャーナリストか、影響力の小さな趣味のブロガーしかしか無いのが現状だ。
宮根誠司氏、緊急事態宣言下にポツリ「日本は他の国みたいに外出禁止命令みたいなのは出せませんから…」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
こうした記事のななめ読みでもしない限り、旧態依然の経産省や法務省の体質が、政府や行政の体質として大きく影響していることを、指摘できる識者は多くは無いようだ。
TVメディアのワイドショーくんだりで、安倍がどうだの、自民党がけしからんだの管を巻く重鎮?識者は、中共だけでなく”国の財布や絶対ルール”を握る者達へのコメントだけは、波が引くように語ろうとしない。
その意味で、テドロスや韓国政府の暴挙などはかわいいもので、日本の未来にとって最大の防壁は、どこにいるともしれない陰謀組織でも、中共政府でも、ましてや戦後裏で尾を引いていたアメリカCIAでもない。
それらは驚異であってもそれ以前の障壁であり日本の最大の驚異は、日本国内に居るという事実に当たり前過ぎて危険視さえしない体質が、我々の中に出来上がってしまったことは、。
単純に考えよう、国を1家庭に置き換えて例えれば、財布を握る人(多くがお母さんかもしれないし他の家族かもしれない)が、節約のためと言ってお小遣いを減らすと言い出す。
ここまでならまあ我慢もするかもしれないが、提案者が貯金そのものの手を出さないにしても、家族に無断で投資に回していたり、独自判断でギャンブルで資産を増やそうとわかったらどうする?
普通ちょっと待ったと言いたくなるだろうが、GPIFなどの名目救済措置でもこれと同じことが起きているのを、黙認してしまっているなら、本来はちょっと待ったと言えなければならない。
この噺は、家庭のケースなら当たり前のように言えるだろうが、国家予算の無断流用となると思わぬ擁護がかかってくる、例えば物価上昇で目減りする資産を安全運用する必要だとか、人口減少で年金にあてる税金減収はどうするの?とか、いざと言うときに備え用途を限定しない予算を別に確保しておこうとか……
これらが実際に運用されていることをどれだけの人が認識されているか、詳細とまで言わないまでも、まず自問自答しておきたい。
国民が選挙によってコントロールできる筈の政府や首相さえ、実験の届かないお役所は財務省の他にも法務省もあるが、民意が絶対に介入できないアンタッチャブルな領域が国内につくられてしまった事実を、どれだけの人が知っていてそれを問題視しているかという話をしている段階で、この国には民主国家ではないことにならないのか。
さらに深刻に受け止めねばならないのは、日本国内に居るという事実を当たり前過ぎて危険視さえしない体質が、我々の中に出来上がってしまったことで、いみじくも上の記事の読者コメントでもその現状を作ったのは我々にあると言う者もあったが、見て見ぬ振りをしてきたそのツケは、結局ジリジリ自分を追い込んで来た。
ただ、だからと言って意見やそれを改善する行動を自分から止めてはならないだろう、その責を受け止める・しないのが重要でなく、事実を理解してそれぞれが考え出した結論と、自分が納得できる行動をするかしないかが重要なのだとご理解いただければ幸いだ。
今、起きている中共ウイルスによる戦争時と変わらない有事だと言われるが、実際には予防薬があるインフルエンザや、軽視していた季節風邪による例年の死亡者数よりも圧倒的に少ないコロナウイルス類の一つに、理不尽すぎる行動規制がかかっていることに注目してほしい。
いみじくも、これを書いている最中に、小池都知事が会見をしているが、彼女の弁で聞き逃してはならないのは、彼女だけでなく各自治体のすべてが政府に申請が許可されない以上、自粛もやむ無しと言わざるを得ない本音である。
聞いた人の中には、もう耳タコだとか、口より金出せよとかグチりたくなる人も多いと思うが、彼女らの発言は途中から自身の権限だけでは何も動かない現実を悟って悲鳴に変わり、それでも立場上できうることに誠心誠意で集中するしか無いと腹を括っているのだろう。
彼女は今できることをしているのは確かだろうし、これ以上は政府の許可……正確には財務省や法務省の許可が降りない限り、金どころか真水と例えられる国民負担のない恩恵さえさえ天から落ちて来ない仕組みなのだ。
この現実を、有事と過度にアオリって国民の矛先が向かないよう、目先を逸らすことに必死なのは誰なのか?
この有事には、なにか行動を”自粛”しなければならないと言う暗黙の刷り込みだけが、本来すべきことより過度に優先されている気がしてならない。
これは事実か勘違いか?
今でも正直答えを出せないが、フェイクであればリスクを背負って行動する者を傍観するのも良いが、事実であったら大きく溝を開けられるのは覚悟しなければならない。
そのジャッジはどちらに下されるのだろうか?
筆者は筆者で死ぬまでは考えていくことになるかもしれない。
そう思いながら、書いている周辺に見える人々が店でくつろぐ姿を見ながら、安堵する自分が居る。