くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

日本人が近づける者、遠ざけるべき者、改めるべき事。

 日本人が行動する上で、特に国際関係においては立体的な思考を緩めると、表面的な正しさや誤りのトラップにはまり込みやすい。

 

その日本人の弱さは利用されやすく、いま国内で吹き荒れる日本の価値を落としめんとする政治や教育にまで及び、これが私達を混乱に導いている今にあって、自己主張をまくしたてる国と、窮地に救いを求める国の、そのどちらに耳を傾けるのが日本人らしいのか、その判断を誤りかねない元になっているのではないだろうか。

 

私達の国際貢献は、相手立場を慮り、自己の利益より相手の利益を優先する姿勢にこそ価値を認めてきた、誇れる姿勢だ。

ところがその日本人としての善意を悪意と捉える人々がいる以上、今後私達が国際社会を生きる上で決定的な差を生むものとは何かを知っておかねばならない。

 

このささやかな考え方の違いは、普段の生活に直接な影響は少ないかもしれないが、国と国の利害関係が絡むときには大きな壁を作ることを、知った上で相手に接する知恵は必用だろう。

 

ここで、隣国に関わる2つの記事を並べてみたが、日常流される記事の一部に過ぎないもので、その隣国の記事にどういった感情や判断をしているだろうか。

 

headlines.yahoo.co.jp

蔡英文総統、日本に安保対話要請 本紙インタビューで初明言(産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

vergil.hateblo.jp

3・1独立運動:「堤岩里」以外のあまり知られていない虐殺事例 - 読む・考える・書く

 

2つの記事は、比較できるものではないが、共通するのはそれぞれの国を、かつて日本人が統治した国が、今日本に対して突きつけているホンネを浮き彫りにしている。

 

これらに関連する歴史において、日本人もアメリカに情報統制や教育制限を受けたり、正確な自国の歴史を見失った教育を受けたことで、悲しい事に隣国への正確な国際判断ができなくなってしまったのは大きい。

 

その修正は、今でも国内の教育方針に悪影響を及ぼし、日本人同士で言い争う悲劇を生んでいるのは意外と知られていないこと自体驚きだし、その無知なままこれからも日本に対し強い悪意や恨みを持つ国によって、物理的国境を侵される前に精神面で「内的侵略」によって、この国に日本人のこころいなくなってしまうかもしれない。

これからは、ネットの発達でAIやVRが普及し、現実の侵略がなくとも内的侵略の方が深刻になる時代が始まっているのだから。

 

 

その中で「日本人」のアイデンティティーを保持できるか否かは、国の責任以外にそれぞれの日本人が確保し維持していく賢さを持ちたいもの。

 

その判断の下地とする決定打は月並みながら「愛国心」の他にない。

この話を持ち出すと、過度に反応する者がいるので断っておくが、これは思想や政治とは関わりのない、文字通りの国を愛する意味であり、家族愛と同じものだ。

 

そんな愛国心を持とうにも、

日本人の歴史には黒歴史は存在するし、誇れる歴史もある。

ただ、それは今の日本人の常識で観た判断であり、どの国にも当時の政治価値基準で歴史は作られていて、永久的な絶対基準ではありえないし、

単に、事実は認め前者は改め、後者は伸ばせばいいだけのこと。

 

さて、その前者に関する意見がやたらと国内で湧くのはなぜか?

 

日本が北朝鮮やロシアに要求していることと、

中国韓国が日本に要求していることと、

 

この要求はどちらも同じ種類のものなのか?

それを、正確に判断し偏りを正さなければならない。

厄介なのは、国際社会は事実を突きつけても、それが正当化できるとは限らないと言う世界であること。

 

日本人の多くは、この手の理不尽に弱く、しかも相手の意見を鵜呑みにしやすく、それを利用されて押し切られることが多いのが、今までの近代歴史で証明されているが、これがいわゆる「国際化できない日本人」とからかわれる根拠。

 

この課題をクリアするにはどうするか。

「ノーと言える、ニッポン」

になること、日本独自の芯の強さは、まずここで発揮するべきだろう。

 

そのために、国の教育を鵜呑み過信せず、必要なときにできるだけ様々な意見を見聞きしなければならないし、決して狭い知識で自決定すればカモにされかねない。

その多種多様な意見の中から、自分らしい意見を見つけるスキルこそ、国際社会に生きる社会人のスタートになる。

 

じゃあ、日本人の自分らしさって何?

そう思うのなら、かなり自分を押さえつけて生きてきた人だろう。

自分の生きてきた軌跡を顧みて、そのきっかけを探すしか無い。

 

だが、これができるようになれば、国際問題の判断だけでなく、国内でまん延する各種詐欺トラブルに巻き込まれなくもなると言う2度美味しいスキルになる。

 

今、日本人が巻き込まれているトラブルの構造は単純で、

悪意の者どもが、無防備な者に誤った事実を信じ込ませ、納得・同意させる。

の単純な手順が国際関係にも使われているだけだ。

 

これは日本人が弱者側と言う側面だけでなく、一方でホンネを隠し相手を増長させている現実を知らなければならない。

繊細なだけ巧みにホンネを隠し問題を回避する私達のスキルは、国際社会において、不利益を生んでいると言う事実を意識しておく必要はある。

 

むしろ日本人として、

悪意の者に見られないように体裁を繕い見栄を張るより、

その誤解を生む曖昧さを戒める、

海外に対しては意思を示し意見を通す行動を取るべきだろう。

 

現に、日本人の納得のいかない言い分が、往々にして世界の人々に影響を与えていのは、それが事実である以前に意見の主張こそが、世界共通の絶対的なルールだからであり、その結果「主張しない日本人」は不利になっているだけで、結果は必ずしも事実の評価とは別物なのだが、それを混ぜて感情的になった方が国際社会では敗者として記録される現実。

 

そのウイークポイントばかりを突く国の主張する勧善懲悪の意見を鵜呑みにしてはどの国も生きていけないし、そもそもどの国にも黒歴史は相応に在るのだから、一部の事実を全てのような主張を、相手の都合ばかりを認め続けるのはあり得ないし、むしろ偽善であり、そんな国に明日はなく自滅するだろう。

 

 

どの国にもある黒歴史と栄光のバランスを取るスキルが外交に求められるが、その戦略にとって偏った歴史や極小な知識をベースに、人は正しいことはできない。

 

そのバランスを取りもせず他人ばかり責めるの相手は、筆者の日本人的な感覚からして、どうしても馴染めないばかりか信用さえできない。

この感覚は、日本人なら誰でも共感してもらえるのでは無いだろうか。

 

最後に、話を2つの記事に戻すと、

さて、どちらの記事の「日本への要求」を日本人として受け入れるべきか?

 

週末に是非考えてほしい。

 

愛国心とは、かくあるべきか_φ( ̄ー ̄ )要メモ案件

日本じゃ、子供向けヒーローモノでもやらん設定に、脱力。

 

しかも、中国初って……ハイテクIT先進国なのに、この文化だけ後進国なのはなんでだろうと思うし、このアンバランスは国として成長する過程で考えればとても不健康で 、その違和感が余計にこの作品の芸術性・エンタメ性を削いで、単なる最新VFXで作り上げた仮装リアルなプロバガンダ作品にしか思え得ない。

 

www.asahi.com

地球を救え! 中国初のSF大作映画、大ヒットのわけは:朝日新聞デジタル

 

 国内の人たちは、なまじリアルなこの映像でますます空想と現実の境界を見失って、

「万世、中華!」

「万世、習近平同志!」

とかに走るんじゃないかと、隣人として心が痛むし、国民が酷い。

 

本当は無視したいんだけど人口が人口だけに、他国では些細な流行が「パンデミック」のように肥大するのがマストな国なだけに、そうさせてくれない「厚かましさ」が中国政府のブラックさ。

しかもその効果を最大限にする強かさも忘れていないので、そりゃ陸続きの某国は洗脳されるわな。

 

ああ、「日本海」ありがたや、ありがたや。

再び、21世紀版「神風」に期待したいところだけど、現実逃避せず真正面から立ち向かわんとな、うん。

「水戸黄門」にみる、歴史ドラマを面白くする方法

水戸黄門といえば、誰もが思い返すのは「紋所を示すシーン」と「そちも悪よのう♪」の決まりセリフだと思う。

あまりお多くの人が、いまさら関心を示さないだろうけど、NHK大河ドラマとか朝ドラのような、歴史ドラマが民放で受けなくなって久しい。

 

その中で、武田鉄矢さん主演の水戸黄門の新シリーズが始まると知った。

 

くろまは、リアル歴史愛好者なので、特にこの番組のファンであるわけではないが、思ったのは、坂本龍馬好きで有名な武田鉄矢さんがしかもお膝元の九州を舞台に演じる姿は、おもしろそうだと思った。

 

武田さんは、坂本龍馬に限らず、リアル歴史精通した歴史オタクでも有名な方、しかも自身の芯をしっかり持っていらっしゃる方なので、彼が演じる水戸黄門は、単なる歴史ファンタジーで終わらないかもと、ちょっと期待したいわけだ。

 

歴史に、特に九州のそれには並々ならないこだわりを持たれている武田さんの、意向がどれほど反映されるか次第だけど、もし大いに関われるのなら、これは民放ならではの切り口で、

 

地方の「歴史」と「旅」をキーワードにした、観光と歴史を楽しめる、

NHKにタメを張れる時代劇

が期待できそうだし、

従来のおざなり水戸黄門ドラマに「新解釈版」として評価されるかもと、期待が膨らんだ。

 

thetv.jp

武田鉄矢主演「水戸黄門」第二弾が放送決定!『本当の水戸黄門が始まる…』 (1/2) | テレビ・芸能ニュースならザテレビジョン

 

 

情報自由化の時代に、既成概念を「疑わず」発想の自由を「縛る」ことへの反省

ごくごく一部の「SF・ファンタジー」オタクと、縁起・神がかりから離れられない人以外は、決して触れることは無いトンデモな話題なのは承知の上で書くと、このジャンルの情報公開も激変していることにショックが禁じ得ない。

 

www.youtube.com

SSP秘密宇宙プログラム「ソーラーワーデン」ナチスの台頭とUFO最新映像。 - YouTube

 

これらの情報を、端から無視される方は置いておいて、近代からある人類の可能性を示す「技術進化」の情報が、私達が教科書や一般書で学んだその進度と、あまりに乖離しているというのは、単に「人の想像力の豊かさ」とか「現実逃避の世迷言」と一刀両断するには、あまりに深すぎるように見えてならなかった。

 

目から鱗なのは、そもそも日本では「UFO=宇宙人の乗り物」という認識がいまだに変わらずに、その基準でこうした技術の経過を見てしまっているのは、あまりにも進歩無さすぎだと言えないだろうか?

あと、注意すべき固定概念は、「ナチス」が極悪犯罪集団だという一面だけに固執する怖余り、戦後アメリカなどで彼らの高い技術力だけは正統化された技術進化の歴史は無視されていることだ。

 

私達の多くは、長年続いた日本の戦後教育で「上から与えられた情報」だけを事実としか認めず、さらに変化への対応やバージョンアップを個々で行わない習慣ができてしまった、その反省は改善すべきだろう。

ただし、情報飽和の今にあって、何でも多数派の言葉に盲信する傾向には注意しながら、新しい情報を冷静に見極めていかなければならないし、フェイク情報拡散の犠牲者になってはならないのは、言うまでもないが。

 

こうした「ファンタジー」と同化され易い歴史情報は、歴史に潜む隠蔽性や偏りをある程度差し引いたり、自己都合と先入観捨てた歴史観をベースにしないと、騙されたり振り回されやすいという点で、難易度の高いハードルとして避けられ勝ち。 

また、映像加工技術が進化した未来に、当時の過去あったとされる「先進的テクノロジー」が現代をも上回っていた、とするこれら情報が示唆するものは、それが無知なのか英知なのか? 泥船なのか箱舟なのか? キリスト教徒が強いられた「絵踏み」と同じような試練である一方、技術的進化の歴史を今一度見直し再認識すべき絶好の機会なのかもしれない。

 

この動画に出る、様々なテクノロジーの遍歴は、今省みれば十分あり得たと理解できるが、その判断には私たちが過去に「歴史事実」として学んだ情報を一から見直す手間と労力は避けられないだけに、どれだけの人が実行できるかどうかは人それぞれの自由であり、課題でもある。

 理論的には可能でも、莫大な予算という現実は無視できないわけだし、不変であるはずの一般常識そのものを一時でも疑う情報はいくらでも見つけられるなかで、ただでさえ今の現実を受け止めるのに手いっぱいな我々に、今さら受け入れるリスクの方が大きいのかもしれない。

 

これらを踏まえたうえで情報収集を繰り返すと、自分で必要な情報が自由に探せると思える時代ではあるものの、その半面いくら工夫しサンプリングしてみても、制限が多かったり、結果が似たり寄ったりすることが、意外に多いことに驚く。

私たちはの周りの情報は、

「見つけているのではなく、与えられている」

だけかもしれない可能性に気づき、思わず自身の「情報への欲求」は満たされない。

 

その渇きや情報の底から抜け出るために残された手段は、見逃していたジャンル・対象からも、その先にある「欲しい事実」を探っては仮設、その繰り返しをしていく努力を惜しんではならないのだな、と再認識させるだけのインパクトと収穫はあった。

 

 

大きなお世話、でも市場は個のためにあるんじゃない

基本、市場の海は、最初に開いた者が有利なのは誰もが認めることだが、その優先権も度を越すことへの警告ということらしい。

 

president.jp

"IT長者の儲けすぎ"は社会の活力を奪う | プレジデントオンライン

 

自称開拓者からすれば、自分のおったリスクは無駄にしたく無い分、蒔いた種の実りは取り返したいに決まっているし、その開墾された畑をより大きな収穫につなげたい者は、どこかで主導権を奪わねばならない。

 

ITといわれるようになったブルーオーシャンは、他の海とは比べものにならない急成長を果たした結果、底が見え始めるのも早く、その速さは誰も経験したことのないもので、その予想は誰にもつけられない段階での意見だ。

 

実りある畑を妥当にお金を払って利用する者は、枯渇への心配は避けられないが、ごく一部タダ乗りする者には、事を大きくしたくない本音ゆえにどう行動するだろうか。

 

市場を開いた者、それを正当に享受する者、不当に搾取する者、それぞれのスタンスによって、答えは別れるに決まっているが、そのどれにあっても異常に頭がキレる者だけに、その勝敗の結末をはっきりと掴むのは難しいかもしれない。

 

化かす者を化かす。

 

あなたはどの立場で、参加しますか?

それとも、傍観者で一生を終えますか?

 

 

 

 

 

精日を知り、日本を知り、世界を広く考える恐怖

精日という言葉が中国にあるらしい。

平たく言えば中国内では肩身の狭い親日派のことだそうだが、そもそも中国政府は強者にはへりくだり弱者には強行し放題の姿勢で一貫しているので、日本は特別でなく、それらの対象の一つに過ぎないことを理解した。

 

中国で日本人に共感する「精日」が急増中!? 中国人が「ギャップ萌え」する理由とは? | ダ・ヴィンチニュース

https://ddnavi.com/review/518987/

 

まあ、中国政府のプロバガンダは知られている通りで、なんかの映画ニュースで見たが中国版「アルマゲドン」みたいな宇宙ものの新作が国内でメガヒットしてるらしいが、ドイツが道を踏み誤った黒歴史を、「繰り返す歴史」みたいに寸分違わずトレースしている事実の方が不気味で気持ち悪い。

 

この解釈に至った理由に、筆者はドイツのそれについてヒトラーそのものが悪だったのでは無いと解釈しているが、こうした「悪の枢軸」をでっち上げる筋書きやプロセスはセット化されて繰り返されるということ。

たまたま1930年代ではナチスだっただけで、その後もイランだったり北朝鮮だったり対象を変えて「勧善懲悪」のシナリオを目的に応じて変えていて、ロシア(ソ連)・中国は、資本主義国に対しての「悪の枢軸」であり、イラン・シリアは、宗教対立に対してのそれと言うように、複雑に絡ませて善悪による経済ギャップを演出し、優位性を高める仕組みが実行されているんだろう。

 

そのシナリオの中で、各国が優位性を争っていて、ロシアは共産主義に資本主義を織り交ぜたことで矛先を逸らしたように見えるが、中国は資本経済の仕組みだけをお得意の「パクリ」で社会主義を中国流に取り込んで優位性を高めようとしている。

アメリカはトランプ大統領が関税措置で無力化しようとするも、国内民主党の異常なまでの抵抗の対策に追われて、中国の本丸に集中できない状態。

日本は、中国・北朝鮮・韓国連合の「いわれのない謝罪・拉致・賠償請求」を迫られ、大人対応に限界を感じつつ、中国の出方待ちの状態。

欧州連合は、上の三連合と比べれば至極真っ当で大人だが、イギリスEU離脱で経済立て直しで精一杯のところを、中国がその後釜を虎視眈々と狙っている状態。

 

イギリスはチャーチル、いやそれより前時代から「三枚舌」と言われるほど、このどさくさにおいても天下獲りを諦めずに、後出しジャンケンで勝とうと余念がないが、さすが最古の王国利権ヒエラルキーの奥深さを感じる。

 

これらの全体像から推測できるのは、アメリカとイギリスの仲が悪くなっているのと、日本とアメリカは根っこでも協調して対処しようとしているということで、欧州勢の古参資本主義陣営と、アメリカ・日本+アジア新興国での新参資本主義陣営、ロシア+中国(以下2国省略)の社会主義陣営の図式。

筆者はイギリスを敢えてそれらから別枠で考えている。

 

あまりに大雑把だがざっと整理すると、今噴出している諸問題が理解しやすくなるないかと、いかがですか?

 

昔は陰謀論者だったけど、その時語られていた陰謀の数々って、今まともに考えても、固有名詞以外では結構ファンタジーでもなんでもなかったんだな、と思う。

数々の陰謀のネタは鵜呑みにしない、比喩であって人間が介在する以上なるべくして成る結実であり、人は悪魔よりタチが悪い生き物と知れば、十分だ。

 

真実は「目の前」にあるのに、見る側が背けているだけなんじゃ?

国内時事ネタの「統計問題」でもわかるように、我々は自力に余る問題の前では「誰もが逃げる」んだよ。

人間は、自分の知力の範疇で理解しきれないことはには、空想化したり無視をする弱くてズルい生き物なんだろう。

 

ここまで書いた上で最後に、中国の動きが目に余ると思っている1人だが、今言われる常識にとらわれず見れば、ある意味アメリカや中国は今の真実と闘っているだけで、欧州や日本は目を背けようとしているだけなのかもしれない。

この点は、反論が出ても否定もできないけどね。

 

世界を見渡すのに極めて限定的な「常識」は、もはや冷静な判断を阻害する「悪」でしかないことに、自分を含め何人の人が自覚して行動しているだろうか?

それを考える方が「ワタシハ、オソロシイ……」

「良いではないか〜」気質から抜けられない男の悲劇サポート

セクハラ問題を考えるのに、日本では主に女性が被害者になりやすい事実を、改善できていない原因を特定、法整備化しきれないのはなぜか?

 

アメリカでは、ウーマンリブの運動によって女性人権を勝ち取ってきたが、日本で起こったそれは、一時のお祭りでしか無かったし、それは男性社会の自己満足でしか無かったし、むしろその後は何でもありな風潮を助長させた。

そう、うそぶくような言い訳が聞こえてきそうな日本の風潮には、今じゃウケもしない勧善懲悪時代劇の定番シーンに見える悪しき伝統は、今でも根強く残っているのだろう。

 

自分も日本人だから、国の恥部を責めたくないし、良いところの方が多いとさえ思うが、日本人の精神文化で致命的な点が「セクハラ」にでていて、特に男性は良く言えばロマンチスト、悪く言えば妄想癖が強い人は、現実を飛ばして思い込みで行動した結果が最悪性犯罪につながっている事実と、女性は男性が思っているよりハッキリした言動を要求していて、男性の方がハッキリした言動をぼかし身勝手な行動をとる風潮が無くならない事実。

その事実を未だ一部の男性は、飲み込めていないと認めざるを得ない。

そこで敢えてエラそうに、彼らにもわかり易く「なぜセクハラと訴えられるのか」をレクチャーする。

 

女性はより現実を重視し、単に露骨に行動すると「角がたつ」ので控えるのを、認知できない男性が「奥ゆかしい」など勝手に美化、自分に都合よく置き換えてしまう。

この悲劇は、日本人に限ったことではないが、我々は加えて「ホンネを隠す」を美徳としていて、その解釈が男女で違いがあるということ。

 

本能的には、男から見る女は性欲・従属の対象、女から男を見れば共感・保護の対象と見れば、それぞれのスキンシップの目的や意味が全く違うとわかる。

セクハラを両成敗するなら、男性は現実を歪曲した行動をし、女性はホンネでハッキリ拒否しないのが悲劇の元と言う事になる。

 

セクハラは男女どちらも起こすが、日本では圧倒的に女性が被害者のケースが多いので同情を隠せないが、多くは男性の現実逃避と妄想癖が原因で、セクハラが多く起きている現実から、特に男性は逃げてはいけない。

日本は男性一系の天皇制の国で、それ自体誇るべきではあっても、それを国民特に男性は極解釈したのではないか、武士の文化にもあるかもしれないが、男がエライ→エライなら何やっても赦される、と勘違いしたかもしれない、それが日本の男性社会の根っこにある。

 

男性がキモに銘じておくべきは、女性に優位性を持ちたいのなら、リーダシップ精神と同様で、実行責任も付いてくると言う自覚。

 

また「女性に負けを認めたくない」と思いがちな男性は、負けたときに一旦事実を認めてから、負けない方法を考えよう。

認めないまま突っ走ると、それがストレスとして残り、客観性が見えにくくなる元になるから。

加えて男性は「比較対象」「敵」を立てて、相手より優位性を誇示する本能的なクセがあって、女性はそれを本能的に受け入れ共感しようとしてしまうようだが、それを都合よく「征服した」と思い上がる時点で、思い上がりと心得よ。

 

女性は現実的な生き物、と男性の間で言われる。

現実的なとは、約束事や保証が大事であって理想や夢はそれに比べれば二の次にしてコミュニケーションをとる一方で、男性はその逆の傾向が強いので、縛られない自由なコミュニケーションを好む。

 

このギャップが大きくなりすぎると、事件は起こる。

女性が受けれようと努力をするのは、必ずしも男性の要求を丸呑みしているのでなく、認めた分の見返りは欲しいのだから、男性は見返りを無視すれば「契約不成立」であり、問題化するのは当たり前。

 

セクハラは、女性が欲する真意を正確に読み取れないまま、男性側の見返りだけを強要した「契約違反」の結果起こる悲劇で、起点はもしかしたらお互い良かれと思った合意が、結果契約違反ともなりかねない。

加えて、常にうつろう女性の真意に、柔軟に対応できない男性が、ワンパターン攻撃が通ると勘違いした場合も問題化するので、男性各々方油断召されず、常に精進あるのみ、である。

 

最後に、同じ男性として「コミュニケーションに不器用」な男性諸氏にエールとして送りたい。

満員電車で、手を上げ自己防衛しなければならない男性に同情はするが、女性に対して過度な反応はやめて、普段から自然に相手を慮って行動できれば、それも無駄なことと思えるときがくる。

女性とて、むげに男性を故意に犯罪者にしたいわけじゃないからだ。

 

男性の在るべき姿は、悪魔でもケダモノでも無いはずだ、

誠意ある紳士であれ、誇り高き戦士であれ。

 

それを誇れるのが、男子の本懐ではないのか?

 

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