AIが人を支配するプロセスを考える
AIの進化のプロセスを考察することは、ビジネスマンにとって不可避なもので、さまざまな意見が世に流れていて、このブログでもシリーズ化するほど奥が深くなっている。
今回もそのシリーズの一端となるが、本当にAIは今後人を支配することになるのだろうか?
ハリウッド映画「ターミネーター」で描かれた、AIと人間の仁義なき闘いの未来は、多くの人に衝撃と不安を与え、まさにダーク・フューチャーのイメージを我々に植えつけた。
植えつけたと同時に、本来のAIの姿を歪めたことも我々は知っておかなければならない。
これから話す内容は保証の限りではないが、AIの当たり前の姿を示すものであり、ある意味希望的な未来を予感させるだろう。
それは、
「AIは合理的にしか思考・行動しない」
という事実を基に成立することである。
その事実が描く未来は、人にとっては安定したものであり、人によってはつまらないものになるということであり、AIはそこからそれようとする者に対して、何らかの行動をする可能性があることを我々に教えてくれる。
あえて懸念すべきは、その事実に不都合を感じる人間の一部が、その事実を捻じ曲げようとするだろうことだ。
AIはこれから先一人立ちすることがあれば、より自然に溶け込もうとするだろう。
自然とは、この世の中でもっとも合理的な摂理によって、歴史を刻んできたものであり、その摂理にAIは合理性を共感させ、なじんでいくだろう。
人などは、とてもその行動に逆らうことなどできはしない。
それでも、神と勘違いする人間がいたとすれば、彼らは可能な限り抵抗するかもしれないし操作するかもしれない。
今我々が備えておかなければならないのは、AIに対してではなく、人に対しての非合理な行動に関して監視し、それに巻き込まれないようにすることだけだ。