くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

経営者が持つ、起業家を目指す有志が持つべき「IT」

この経営面での不手際として、敢えて批判するとすれば、もうすでに個人を責めて済む時期をとうに過ぎている、過去の遺物でしかなくなろうとしていないか?

 

それほど世界は、時間価値を高めるかのように急かし、過去の経緯をまるでゴミのように評価するかの様な動きを見せている。

 

この現象を直視するために、起業家の持つべき視点をよく見極める必要があるが、まずは資本主義経済のイロハをしっかり確認しておかねばならないと感じたが、経済学はあまりに難解で膨大だ。

 

ではキモとは何かだけでも知っていたほうが良いと、その点絞って見ればこの事件は当にその全てのヒントを網羅した教科書のような事件で、筆者はその視点で追い続けた。

 

 

株式会社とは、資本家であるパトロンの私物である以上、ある程度の公益性は犠牲になるのは避けられないにしても、公共への影響度を盾に政治介入が絡むとこうも歪んだ現象起こすと学べたことは、筆者には不幸中の幸いだった。

 

このブログでも何度もゴーン氏の行動と、日産や政府側の対応について追ってきたが、なぜ追わざるを得なかったかを、改めて書けば経営者おける、イロハレベのル基本的視点と行動力を問う話に戻らざるを得ないからだ。

 

ゴチャゴチャ言う前にゴーン氏の経営者としての資質は、極めて優秀だったにも関わらず、政治的都合で日産のテコ入れに政治介入して、純粋な企業経営に横槍を入れてしまったことが、日産丸難破の最大最悪の要因だと、認識してこそ意味を成す。

 

biz-journal.jp

日産、凄まじい経営悪化…ルノーによる経営統合&フランス企業化が現実味

 

日産と同じ様なことは、三菱航空機の国産初ジェット旅客機にも、恐らく同様の経緯が祟ったと見ているが、それはさておき日産がフランスの軍門に下る流れが避けられ無いと、今さら叫んでも遅い。

 

ここで考えたいのは、政治的介入の目的が純粋に日産丸の救済にあったのかと言う、介入動機の検証であるが、もしこれが単に一部の人間の個人的資産目減りを一時的に避けるためだけのものであったら、どうだろう。

 

こんな政治の都合で企業経営を左右させられる理屈がまかり通れば、投資家は企業をサポートしなくなり、経営権の魅力を壊すことになる。

 

このマネーの流動性を逆なでする企業価値の横取りは、アメリカ式の資本主義経済ではあり得無い暴挙であるし、経済ニュースで流される客観情報が、まるまる意味を成さなくなるのだからたまったもんじゃない。

 

それを政治家共は、無神経にやってしまうのだから、本気で経営に集中する機会を、奪っているとしか思えないし、その姿はまるで「かまってちゃん」のエゴそのものでしか無い。

 

この疑惑は、東北震災に絡む東電利権保全の一時しのぎに政治介入があったとされる疑惑へも再燃しかねないし、日本政治家の資質にさえ言及される問題へと、ステージ変わっていくのである。

 

経営者の目線はイロハで言えば、鳥の目魚の目でなければならないと言われるが、優秀な経営者を犯罪者に仕立て上げてまで、一部の目先だけの私物化する政治介入は、アメリカの自由主義とはまた異なった、中共政治のやり口とどれ程の違いがあるのだろう?

 

このままでは、健全な株式資本の経営は、ますます日本に根付くことなく、まともな経営者を駆逐し、いびつな資本主義経済を助長していくことになりかねないだろう。

 

国家の運営を国民目線とか、公益性に言及する視点は無くしてはならないものの、それ以前に企業経営同等に、国のパトロンである国民利益を優先する、政治の経営意識の歪みを世界の面前に晒したこの事件にも、現れている。

 

これからの起業・経営の未来の芽はもう摘まれてしまったのだろうか?

 

今回は珍しく長くなりそうなので、一旦ここで筆を置くことにする。