酷暑も吹き飛ぶような現実に凍りつく? その理解に空想論MRTは必要ですか?
MRT(Modern Reality Theory)は筆者の造語で、話題になってもすぐ国内TVメディアに黙殺されたMMTに乗っかったもので、交通システムとは無関係なので、予めご了承いただきます。
いずれにしてもこういう造語を作らずにはいられない程に、国内景気をこれほどまでに沈静化させるのに余念のない財務省や経産省が、MMTによって自身の政策の矛盾を突きつけられながらも頑なに不動の姿勢を崩さない背景には、何があるのか。
私たちは、それを今すぐ知っておかなければならないだろう。
この景気が向上しない現実に対して、MMT支持不支持関係なく以前から多くの経済識者が違和感を指摘する一方で、その火消しをするかのように御用経済学者の御大が、あらゆる経済理論を曲解・駆使して政府の経済政策をカバーされてくると、事実さえも捻じ曲げられる現実に、その現実を見直す理論を改めて開発しなければならなくなってきたのかもしれない。
MMT理論は米議会ではそれなりの反響や反論という真っ当な民主主義らしい論議が湧いてるのに、日本議会では議員個人単位の勉強会はあっても、この金の流れや効果に関することに限っては、アメリカの流れに沿わず自然消滅を待とうとする姿勢は、あまりに不自然としか思えない。
デフレ長期継続中での3度目の消費増税可決。
理解し難いプライマリーバランスの正当化。
日銀のバランスシートを基にした国の正しい財務状況の説明放棄。
多くの国が2%程度の弱インフレを支持する中で、唯一デフレ支持の日本。
景気起しに何が何でも国庫から財政出動を拒み続ける頑なさ。
などなど、挙げたらきりが無い。
この米中貿易戦争が続く中で、米中はもとより各国が次々に利下げに舵を切る中で、
(まさか増税前に単に波風立たせたくないだけとかではないとは思うが)
なぜに彼ら日本の財務省や日銀は未だ利下げせず、景気対策での独自の解釈にこだわりつづけるのか?
事実を示した理論の正しさを肯定しながらも、誤った法案を見直さないのか?
可決してしまった法案は原則廃止できなくとも、改案や解釈変更の法案で方向転換できそうなものだが、ここまで景気を追い込んでおいて、正さない姿勢は何を意味するのか。
ようやく安定政権による効果が出始めたと言われながらも、現実はデフレの延長でしかなく、物余りの中で消費欲は遠のいている。
それに加え日本だけが実質GDP値が、ついに1%を切るという。
働いているのに経済的には稼いでいないこの国に、今後世界はどういう評価をしていくのだろう。
彼らは、日本をどこに導こうとしているのだろうか?
そんなふしぎの国ニッポンにしてしまった原因の一つ、緊縮財政の罪は重い。
国内外にあるとされる、この国を債権国たらしめる資金の提供者には、財務省は忠実で、彼らに得にならないお金は国家の行方よりも優先し厳格に護ろうとする姿にしか映らない。
その推測は、本当に推測なのだろうか。
経済の血液と言われるカネの謂れから見ればこうだ。
かつて「カネ」が発明されて以来、国は形骸化されカネによって人が集まり動くようになり、紙幣という借用書によって発行者だった国がへりくだる関係ができてしまった現代をMMTは証明してしまったのだろう。
なぜに日本の経済状況が、その理論が導いた結果と見事符合したのか。
偶然をMMTが導いたのか?
もしかしたらMMTが担っていた目的はまだ他にあるのかもしれない。
まあ、その探求はともかく、その現実を認められず理解さえしようとしない、いやできない国の管理者には、やはりその現実を知らしめるための理論は必要なのかもしれない。